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あたらしい今日

 今ではなく「いつか」へ、ここではない「どこか」へ、行きたいと、わたしは幼いころから、ずっとおもっているのかもしれない。それが沖縄でも、大阪でも、東京でも、恵那でも。

 朝ドラあまちゃんの中で、「どこへ行ってもおなじよ!」と春子さんが言う。そうか〜???とおもっていたが、そうなのかもしれない。

 今、と、ここ、がこわい。寄る辺のない宇宙みたいに広くて、掴む先がなにもなくて。

 ながらくわたしは行き当たりばったりなのに、未来志向が強いなぁとおもっていた。近い将来、〇〇をする、と決めると、そこへ向かっていける。実際にそれが叶わなくても構わない。もちろん叶う方がいいけれど、小さな失敗は何度あってもいい。その〇〇さえ、見えていれば、いい、とずっとおもっていた。

 今を蔑ろにしている気分はずっとあった。かといって、それをどうしたらいいか、わからなかった。娘が産まれ、人生真っ只中だぁという気持ちになった。彼女には、今しかなかった。ふたりの蜜月はおわり、愛くるしい彼女は、彼女だけの時間を持つ存在になった。

 未来へのあかるいひかりを見ることができること、それがわたしの長所でもある。しかし、今はできるならば、今のひかり、すぐそばにある灯りを見失わずに、ここにある山たちに励まされて、毎日、あたらしい今日を過ごしてみたいと、そう願っている。

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