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ぶっとんで異世界

恵那に来てばかりの頃、明るい湯船に浸かっていると、知らない世界に来たのだな、としみじみした。日本は田畑が多く、森林に囲まれた国であることは、頭では理解していた。その知識はなんとうすっぺらなものであるか。

夜の12時に外に出ても、すこし歩けばなにかしら電気の灯るお店がいくつかある場所で暮らしてきた。夜中に外に出ることはほとんどないけれど、真夜中でも人の足音や車の音、朝方は電車の走る音がした。うるさい、とは特段おもったことがなかった。

恵那の夜は、本当に暗くて静かだ。隣の人の寝息しかしない。にぎやかなときは大抵カエルだ。今日はそのカエルの声もほとんどしない。

沖縄にいるときは、よくヤモリの声がした。ヤモリはケケケケ、と鳴く。字面で見るとなんだか妖怪みたいだけれど、姿も声もかわいくて好きだった。

越してきて4年が経って、毎日にもずいぶん慣れたけれど、たまに不思議な気持ちになる。我に返るとここは全然知らない土地だ。近所のアスファルトから竹の子が生え、友達ん家はみょうがが山ほどなり、お店の庭は放っておくとすぐに竹林になり、散歩しているとたまに猪に会う。遠くから自分の姿を見ているような、そんな気持ちになるのは決まって湯船に浸かっているときで、今日もそんな夜だった。

幼い頃から、木がどうやったら木の形になるのか疑問だった。まわりを見渡すと、小さな草花か、もう立派な木になった街路樹か、生垣ばかりがあった。種から芽が出て、それがどんな風に木として認識できるくらいに大きくなるのか、想像が出来なかった。

ほったらかしにしていた場所を草刈りすると、その過程がよくわかる。小さな芽がぐんぐん育って茎が太くなり、枝が生えて、それは木になる。めちゃくちゃ当たり前のことなんだけれど、それが腑に落ちたのはわりと最近のことだ。

草は、びっくりするスピードで生える。最初のころは、かわいいしそのままにしておくか、としていたら随分伸びて、このまま山になるのかしら、と思うほど伸びた。2年目はそれに懲りてすこしずつ草を刈るようになった。

草刈りは、地面が平坦で起伏がないほど楽だ。逆に大きな石や、切り株や、太い枝なんかが地面にあると急に刈りにくくなる。

「うちの田んぼはね、わたしの父が木を切って、切り株や石をどけたりして、開墾したのよ」

と、恵那の料理教室で出会った80代のおばあちゃんが言っていたことをおもいだす。自然との共存、と言うけれど、共存というよりは、間借りという感じがする。

山の一部を使わせてもらい、家を建てたり、道をつくったり、田畑にしたりする。しかし、あくまでそこは山の一部であるから、放っておくと、そこは山へ還る。

海の近くのコンクリートロードで育ったわたしにとって、この事実を飲み込むのにずいぶん時間がかかった。

昔は、家に使う木材も、自分の山からとった木を使っていたと聞いた。それはなんだかとても愉快だなぁと思う。山から湧く水を飲んで、山の木を使って家を建てて、薪で風呂を沸かす。

愉快だからと言って、その生活がしたいか、と言われたら現状はNOだ。ガスは便利だ。ボタンを押せばお湯が出る。入りたいときにいつでもお風呂に入れる幸福を手放す気にはなれない。

便利を手放すことはできないけれど、人がいなくなればここは山になる、そんな場所に暮らしていることは、やっぱりとても不思議で愉快だ。

書きたいことはこんなことじゃなかった気がするけれど、眠たくなったから寝ることにする。どこで入ったって、あたたかい風呂は最高だ。


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