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排斥

「排斥」という言葉は、JWでは(何度か書いているけど、「エホバの証人」のこと)
正会員、つまりバプテスマを受けて姉妹や兄弟になった人が宗教団体を辞めることを指す。



わたしはある時、我に返った。

それも急に、だ

それまでモノクロだった世界が、突然輝くほどに眩しい世界に見えて、
わたしは突如「良心の呵責」という罪悪感にも似た感情を感じた。
常日頃から、悪事を働くと神エホバが…という話を聞かされていたからだろう。


急に自分がしてきたことを誰かに打ち明けたくなった
助けてほしい!!!こんなはずじゃなかった
わたしはこんなことがやりたいのではない!

そう思ったわたしは母に罪を打ち明けた

母に話した後は父に携帯電話から電話をして打ち明けた



母はひたすら泣く
泣く母を見てわたしは困ったけど、それ以上はナニも感じなかった


わたしをこんなに追い詰めたのは、親の離婚がきっかけだから、と思っていたからだ



父はきちんと話を聞いてくれて、一言「そっか」と言ってくれた。救われた気がした


父の対応が嬉しくて、わたしはまた真理に基づいて頑張ろうと思ってしまう。


母に話した事が長老に伝わった
母に「長老に話してもいい?」と聞かれたのだ。
わたしは罪を認め反省し、やり直したいと強く思っていたから「いいよ」と言ってしまった…


あれよあれよとわたしの話が2つの会衆に伝わり
大好きな長老にも伝わり
牧羊も受けた
(長老から受けるヒアリングみたいなもの)
長老に励ましてもらった。

「姉妹(わたしの事)、大丈夫ですよ、勇気を持って話してくれました。
きっと偉大なるエホバは理解してくれます」

という

だけど、その話が長老会議にまで伝わったのか、主催監督の長老も含め、3対1で話し合いませんか?と聞かれた。ついにきた、、、審理委員会だ。

わたしは嫌だった。
母は「大丈夫だから話してきてほしい」と泣きながらいう
そんな母を横目に「大丈夫な訳ないじゃん!」と感じていた。
母よりも教理を真面目に勉強していたわたしは、「絶対、罰がない、大丈夫なんてあり得ない!」と思って審理委員会に行くのを断った

でも、「罪を償うためには必要だ」と長老たちに言われる。これが同調圧力なのかもしれない。

お世話になった母の司会者や、一緒に奉仕をたくさんしてきた年配の姉妹たちからも、「勇気を持って」と言われた。


嫌だった
行きたくなかった


だけどわたしの気持ちに気付かずか、審理委員会は開かれた。
みんな審理委員会の日の夕方に我が家に集まった。

隣県からわざわざ何名もきてくれた

わたしは悟る 最後だからきてくれたんだ と
いやだいきたくない。やっぱり嫌だ。みんなといたい。わたしは嫌だ。


ずっとずっと泣いた
でも遠くからきてくれた兄弟姉妹のためにも笑わないと、と思った

必死に取り繕って、玄関先で待っててくれた兄弟姉妹に、恐る恐る「きてくれてありがとう」と言った
きっとこの時は泣き笑いだったろう
日付的には覚えていないが、多分2005〜2006年あたり
わたしはまだ14歳くらいで、秋か冬か、寒かったのを覚えてる

みんなで家を出て、向かった
王国会館で18時か19時から審理委員会が始まったと思う
あたりは暗くて普段なら王国会館の電気はついてない時間だ


だけど今日はわたしのために明かりが付いている

明かりが付いてて欲しかったあの日は誰もいなくて孤独な夜を過ごしたけど、
今日はわたしの意に反して明かりが灯っている

なんとも言えない感情だ。

王国会館の入り口で母とまだ幼い弟。
隣県から駆けつけてくれた育ての姉妹や兄弟。
みんながわたしが王国会館に入っていくその姿を見守りにきてくれた。

母の目はウサギのように赤かった。
姉妹や兄弟は涙ぐんでいた。
わたしは最後のハグをした、
行ってきますのハグだ。

大丈夫わたしは戻ってくる
たとえ排斥という結果になっても必ずみんなのところに戻ってくる!

と伝え、1人王国会館に入って行った

3人の長老と面談が始まった
威圧感が半端ない。
気圧されている場合じゃない
頑張ろう そう思って挑んだ。
でも長老の目を見れない…

3人のうち1人とても心優しい長老がいて、その人の目を見るのに必死だ
必死に 助けて とその長老に気持ちを伝えたつもりだった。

お祈りもして
色々聞かれて
素直に答えようと思って
自分がどうしたいのかも伝えようと思って
助けてほしいということも伝えた

会話で記憶にあるのは、不道徳に対してと、薬に関してだった
そのほかにも、もちろんお酒とタバコについても聞かれた

緊張のしすぎか
なにを話したかもどんなリアクションかをしたかも定かではない
わかりやすくいうなら、3人の裁判官に囲まれて素人の人間が問い詰められるようなものだ


とりあえず、不道徳に関して聞かれた
淫行に関しても聞かれた(SEX)
どんな雰囲気でどちらから誘ってどのように触れ合ったか、と聞かれる。まるで官能小説のようだ。この時間が堪らなく嫌だった。


薬に関してはドラッグをしていたのだと思われていたらしく
安定剤を飲みすぎてしまって記憶がない事は素直に話した。要するに私はオーバーズドラッグをしてしまうだけだから。(OD)


素直に聞かれるまま答えたら、さらに神妙な雰囲気になりまた更にいろんな質問をされた。

雰囲気を察知して、わたしは「やばい、なにか地雷踏んだ?」と不安になった。

それから、15分ほど長老が別室で会議される
もう生きた心地がしない。
やましい事をしてる、してないなど関係ない。
呼吸が出来てるのが不思議だ。
本当に私は地に足をつけてたっているのか?
生きてるのかな、生きてるならいっその事殺してくれ……

素直に話さなければよかったのでは?とも思ったけど、聞かれるままに話をしたら「悔い改めてる」証拠になると思って素直に話した。どんなsexをしたのか、体位を含めて聞かれたから答えた気がする。




会議室から長老たちが席に戻ってきた

「排斥」を伝えられた

やっぱりかと思った
目の前が闇に感じる
たった2文字なのに「絶望」を感じる。
真っ先に ごめんなさい、生きててごめんなさい。と思った。

わたしはまた自分自身のブラウン管に入ることになる

足元がふらつく
きちんと歩いてるのかも
どうやって部屋を出たかも覚えてない
呼吸は出来てるのだろうか
笑えてただろうか
長老に失礼のないように最後まで会話できたか
わたしは今から排斥された身として相応の振る舞いをしなければならない……。


王国会館を出たら、そこには母と隣県の兄弟姉妹がいる。
寒そうに手をこすりながら「どうだった?」と聞かれた。伝えられるかな…不安だ……どうしよう……

頑張って振り絞って「排斥だった」
伝えた。よかった。


その場にいた人たちみんなして泣いてた
泣き崩れてしまった育ての兄弟
どまどいを隠せない母
それを支える司会者の姉妹
涙ぐみながら励まし合う姉妹たち


わたしはみんなになにも言えない
愛してくれてありがとうも言えない
霊的に育ててくれてありがとうも言えない

排斥を伝えられたその時から、わたしは信者ではなくなり
未信者の世の人よりも、穢れのある人だということを理解していたから。

ただ、ただひたすらに笑顔でいるしかできなかった。


大丈夫 また戻ってくるよ 離れててもエホバは共にいるよね

と、言い残して
わたしは自転車にまたがり
母に寄り道して帰ると伝え、暗い道を走り出した。


奉仕区域を、これで最後の見回りだと思って自転車で漕ぎながら、どんどん生きてる感覚がなくなり、ブラウン管の中で過ごす感覚が強まる。それでも自転車は漕いでいる。


一通り回って家に帰ると、母が待ち受けていた


「どうするの」
「どうするもなにもどうしてほしいの」
「……」
「また黙りかよ。好きなようにやらせてもらう。排斥になったといっても、家であるのには変わりない。未成年だから家を借りることも出来ない。わたしのやりたいことを何かひとつでも叶えられる? 無理でしょ…」
「……」
「出てけばいいんでしょ」
「……」
「あんたの目につかないように生活してやるから安心しな」
「…ねえでも聞いて」

バタン。

ふぅーーーーっと息を吐く
心休まる場所はここにはない。

私の親のふりをするサタンがここにいる。


わたしは人生をやり直したかったけど、そうもいかないみたいだ。
わたしは誰なんだろう
わたしは何者なんだろう
わたしはどうしていけば正解なのだろうか
生まれてごめんなさい。
お金のかかる子でごめんなさい。
生きててごめんなさい。
悪行犯してごめんなさい。
従順になれなくてごめんなさい。
組織に隷属できずにごめんなさい。
生まれなければよかった
なんで生まれたんだろう
なんでここまで生きてしまったのだろう



ふつう  ってなんだろう

ふつう  になりたい

泣きじゃくりながら思っていたこの言葉を呟きながら手首に爪痕をたてて、喉元を掻きむしり、過呼吸になりながらも必死に落ち着きを取り戻したくて、猫のように丸くなってこの日は寝た。

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