例えば人生が1分間の水中だったとして
例えば人生が1分間の水中だったとしたら、恋愛というのは酸素ボンベのようなものだと思う。
これはなにも、「必要不可欠なもの」という意味ではなくて、必要な人もいれば、なくても余裕で生きられる人もいる、という意味。
また、ここで言う「恋愛」というのは、片思いも含めた「好きな人がいる期間」というニュアンスなので、必ずしも恋人の話ではない。
この話をするにあたって、タイトルにある「1分」という前提が大事で、これが2分、3分と上がっていくと、また結果が変わって来てしまう。だから、正確に「何割の人は〜」という話ではない。私が大雑把に決めたことなので、大雑把な感じで受け止めて欲しい。
まず、酸素ボンベについて考えよう。
どんな人がいるだろうか。
・必要不可欠な人
・なくても生きられる人
・ない方が楽な人
・なんとなく持っておきたい人
・後のことを考えて持つ選択をした人
・持たない選択が苦しくなってきた人
・途中で重たくなって捨てた人
・不必要だけど欲しい人
・必要だけど避けてる人
・別にどっちでもいい人
色んな人がいると思う。
多分、今書いた以上に細分化することも出来るし、持つ理由も持たない理由も一人一人違うのだろう。
次に、恋愛について考える。
上の箇条書きを読み返して欲しい。
読み返してきてくれただろうか?
そう、恋愛も一緒である。必要な人もいればそうでない人もいたり、別に今は必要じゃなかったり、様々。
ここで言いたいのは、必要か否かに優劣があるということではない。
ただ、この度合いが違うと、友人とすれ違ったり、話が噛み合わなかったり、そういうことが起こってしまうのではないかと考えたのだ。
もっと客観的に思考出来たらそれが減るのではないか、と。
例えば、「必要不可欠な人」。この人は人生において恋愛の優先順位が高い。
だから他の人にも恋愛を勧めるし、恋愛は幸せへの第1歩だと考えている。
しかし、恋愛を勧められた友人が「ない方が楽な人」だったとすると、この勧めを煩わしいと思うだろう。ただ重くて邪魔なものを熱心に勧めてくる親友を、滑稽とすら思うかもしれない。
逆に、「重くて捨てた人」が、「必要不可欠な人」に「恋愛なんてやめときな、いいことないよ」と言ったとする。
しかし、「必要不可欠な人」がその助言を実行に移すことはない。なぜなら、恋愛がなければ溺れて死んでしまうからだ。
だから、この優先順位が違う人たちは分かり合えない。
だからといって、諦めようという話ではない。いちばん伝えたいことは、この次にある。
この「恋愛の優先順位」を、共感や納得は出来なくても、理解することならできる。
例えば、友人が恋人を優先して、蔑ろにされたと感じた時「ああ、この人はこれがなければ溺れてしまう人なんだ」と思えるし、恋愛を拒絶する人がいた時に「この人は重くて煩わしいと考えているのかも」と思える。
そうやって、自分にはない価値観を例え話で深堀していくと、案外すんなり理解出来たりする。
「この人は自分とは違う」という理解が、大切な人たちとのすれ違いを減らしていくことを願う。
あ、ちなみに私はどっちでもいい人です。
おわり。
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