経験してみないとわからない

何年か前に元サッカー日本代表の内田篤人選手が執筆した、「僕は自分が見たことしか信じない」というタイトルの本が出版されました。自分はその本をまだ読んだことはないのですが、おそらくプロとして海外でサッカーをやっていた中で、ネームバリューや人からの話などの話は、自分の目で確かめないと真偽が異なることがあるというようなことではないかと推測しています。

さて、今回書こうと思っているのはまさにそれに近いことです。何事も経験してみなければわからないということです。具体例を挙げてみます。自分は幸運にも小学生の頃から大学卒業まで学校に行くために電車を用いたことがありません。すべて徒歩もしくは自転車で通学可能な範囲に住んでいたので、満員電車で通勤することは大変だとわかっていましたが、あくまで想像の範疇でした。とある部活の同期は朝練の日は5時半に家を出て練習に来ていましたが、彼のことに関してはただ電車に揺られているだけだろうと考えていました。また、就活をしていたときに、何回か満員電車を体感しましたが、それは通学ではないので電車通勤は大変であると実感する程度でした。

しかし、今ロンドン中心部にある語学学校に通っているため、毎朝電車を利用しています。中心部に近づくにつれ混み合う車内。学校に通うだけでこんなにも大変なのかとこれまで電車通学していた友だちを尊敬せざるを得なくなりました。部活の同期の電車が大変だという言い分も今ならばわかる気もします。

たかが満員電車の例で何を言っているんだと思う方もいると思いますが、器の大きい人間というのはこのような経験の数が莫大に多いのではないかと自分なりの結論です。スポーツ界には、「名選手は名監督になれない」という言葉があります。これは、選手と監督の役割というのが全く異なっていて競技が同じでも求められる能力は異なっていることを表していると思います。

日本には何かひとつのことを貫く者が良いという古代から伝わる武士道的な観念があるように思えます。日本男児という言葉も関連するかもしれません。ただ、いろんな経験をしたものは器を大きくできると仮定するならば、残念ながらその観念は捨てたほうがいいと自分は思います。

大学生でバックパッカーで世界一周だったり、ヒッチハイクで移動する人を見たことがあります。これまで自分はなんでわざわざそんなに大変なことをするのだろうと思っていました。日本人には、平和な社会と雨風しのげる屋根と壁のある家が用意されているのにもかかわらず。また、本当に目的地まで行きたければ家族や友達にお金を借りて公共交通機関で移動すればいいのに、と。でも今思うのは、そのような経験は1人の人間の器を飛躍的に広げることに大きく寄与すると感じます。それらをやっている張本人はただ面白そうだからやっているのかもしれませんが、必ず人間力に影響しているはずです。

逆に言えば、ある他人のことを自分が経験していないにもかかわらず想像で考えてしまってはいけないと言えそうです。自らが経験しているならばまだしも未経験な役職や役割の人物のことを一方的にけなしたり非難することはその人の人生が経験不足であることを他者に露呈していると言っても過言ではないかもしれません。(政治家は違うかも)

次回はテーマをがらっと変えて行ってみたい場所について書きます。

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