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/// 展覧会/// 涼風だより /// 開催中

皆さん、こんにちは。私たち姫路 三木美術館では1年に4回の展覧会を開くようにし、その折々にあう美術作品を愉しんでいただけるようにしています。現在開催中の展覧会「涼風便り」について少しご紹介させていただきます。まずは絵画について。開催は2022年6月1日(水)〜2022年8月28日(日)ですのでどうぞお見逃しなく!

「涼風便り」にこめた想い

ちょうどこの記事を書いている現在は連日30度前後の日が続いています。こんなにも蒸し暑いとクーラーが効いているお店や部屋に逃げ込んでクールダウンをしたくなりますが、冷気で身体を冷やし落ち着いても、それで「涼をとったか」と聞かれると少し躊躇することがあります。それは体感的な涼しさを得られても、心まで涼やかになったとは言えないからではないでしょうか。
「涼をとる」という日本語の表現には単純に陽射しを避けたりするだけではない、心持ちの様子も含まれているのではないでしょうか。よしずの作りだす影にほっとし、風鈴の音で風の気配を感じ、水や氷に見立てたガラスの器で涼やかな食を楽しむというような。そういうふうにして夏の暑さをやり過ごしてきた日本人共通の響きが涼という字には込められているのではないでしょうか。

ということで前置きが長くなりましたが、私たちは収蔵品を通じて皆様に涼をとっていただきたいと思いました。
数多く収蔵しているガラスや陶磁器からも20点弱を選りすぐりました。

この時季に三木美術館にお立ち寄りいただければ、日本人が大切にしてきた「涼」を存分に味わっていただけると思います。皆様のお越しをお待ちしております

展示品の一部をご紹介します 〜絵画編〜


作品タイトル:三保乃不二 画家名:横山大観 

制作年:1954年

明治大正昭和と激動の時代を生き抜いた画家、横山大観氏の作品を展示いたします。
こちらは1954年の晩年の作品。横山大観氏といえば富士山と言われるほど、生涯にわたって絵画の理想形として富士山を描き続けたことで有名です。
三保の松原は駿河湾に突き出すような形の三保半島の沿岸数キロメートルにわたって続く松林です。現在の静岡県静岡市清水区という住所になります。日本3大松原にも数えられるこの景勝地はユネスコによって世界文化遺産に認定された富士山を構成する重要な土地ということで構成資産と位置づけられています。
その理由は三保の松原から臨む富士山の雄姿が芸術や文学とも密接な関係にあったことです。例えば絵画を例にとれば古くは狩野派や浮世絵の歌川広重など多く画家たちの創作活動の源となり数々の作品が生まれたことにあります。横山大観氏の富士も日本人の富士山に対する憧憬を表わすと同時にユネスコの文化遺産認定にひと役かったかもしれないと思うとまた違った親しみも湧いてくるのではないでしょうか。

作品タイトル:池畔 画家名:東山魁夷 

制作年:1951年

日本を代表する画家、東山魁夷氏が43歳の時の作品です。1947年日展に出品した《残照》が日本政府の買い取りとなりその後の注目を集める転機となりました。1950年に《道》という作品を発表したことで風景画家としての地位を確立したといわれています。こちらの作品《池畔》はその《道》の翌年に描かれたものです。早朝に開花し始めた蓮の花を淡い清澄な優しい色調で描かれています。
蓮の花の咲き方には特徴があることをご存知ですか。夜明けごろよりふっくらした蕾を開き満開の姿を見せてくれますが、お昼頃には閉じてしまうのだとか。この作品を見ると、開いているものもあればまだ蕾状態のものも。おそらく咲き初めのまだ空が明るくなりきらない少しひんやりとした時間に池畔のあちこちで蕾が開かれていくのを見ながら描かれたものかもしれませんね。東山魁夷が池畔を描いた作品は他にもありますが、蓮の花が描かれた作品は珍しいとのこと。前に立つと今にも蕾が開きそうな気がしてきます。


作品タイトル:水邊裸婦 画家名:岡田三郎助 

制作年:1924年


裸婦を描くことが困難であった近代日本では、裸婦という存在の必然性を入浴図から水浴図に求めたとか。岡田三郎助氏もその一人といわれています。岡田三郎助氏は第1回文部省の留学生としてフランスへ留学し、黒田清輝氏らも受け入れた画学校を主催するラファエル・コラン氏に師事をしました。帰国後は東京美術学校の教授に任じられます。
「女性」と「豊かで美しい色彩」は岡田三郎助氏の持ち味です。繊細な色調を見せる森林という場所を描きつつ裸婦を表現したことは師の大きな影響を受けた作品のひとつと思われます。本作品のモデルは妻の八千代さん。日光と森の樹々の緑色が肌に反射し瑞々しく描かれているのをご覧ください。


作品タイトル:十和田湖 画家名:林武 

制作年:1953年


林武氏は明治生まれで大正末期から画家としての活動を始め戦後の日本で活躍した洋画家です。色彩の力強さと絵の具をチューブからそのまま押し出したような情熱的タッチを特徴とする作風です。
林武氏は1953年6月より約2ヶ月間十和田湖に滞在し、十和田湖を画面におさめる写生の場所を探したといわれています。そして甲岳台展望台より描きました。右手より中央に向かって突き出しているのは御倉半島。そして目に飛び込んでくる真っ赤な2本の線は木の幹を表しています。こういった木の幹の色を赤く強調した作風は1930年代より始まったようです。強烈な色彩により十和田湖の澄んだ印象が引き立つ作品です。

                      [企画制作/ヴァーティカル]



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