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私と、明日

読者数が少ないので、自分語りを許される場所かな、と思いまして
あまりSNSなどで書かないことを少し綴ります。

私はいわゆる「青い障害手帳」を有しています。
ご存じの方には、どういう障害が該当するかがわかるかと思います。

その中で感情コントロールに困る症状が顕著でして
なにがきっかけでアップダウンをするのかは、
厳密に「これがトリガー」と言えないのも実に歯がゆいです。

この病気は「因子」は遺伝要素が高いと言われています。
生まれつき持っていた因子が、ある時きっかけを得て
病症になり現われる、と言われています。

振り返れば「ああ、確かにそういえば」という
過剰な自己正義や、怒ると火がついたかのようになったり
いつまでも同じことをぐるぐる考え続けてしまい
「まだ、さっきのこと引きずっているの!?」と
呆れられたり、ということは
この病気が定かになるまでも、ありました。

一番辛いのは「高揚と陰鬱」の混合状態です。
イライラ、めそめそ、あせあせ、もんもん・・・
やることすべてが中途半端になり
取り散らかした部屋の中が
私の頭の中そのものを表現した作品みたいになります。
そして、哀しいのは
片づけることが出来ないという、発達特性。

幾つも、病症が表面化する要因はあったと思います。
その中でも
婦人科疾患による生殖器官の全摘出術という処置を受けたことでしょうか。
当然、ホルモンバランスが崩れて、
身体が自分のものじゃないような不快な辛い状態になり
これでまた、元気に働ける!と思っていた私の希望の芽は
詰まれてしまいました。

鬱状態から専門医にかかり、4年も治療して回復せず
躁転して初めて「本当の病名が解り、正しい治療を受けられました」

めっきり体力を失いました。
もともと丈夫ではない体質を、若い当時は勝気さでカバーして
仕事に埋没した30年でしたから、喪失感は相当なものでした。
動けない自分、体調の悪い自分、それを呪いました。
職場からは「無理しなくていい」という優しい言葉で
前線離脱を暗にほのめかされました。

突然の母の癌の発覚で、ステージ4。
父は歩行に難を覚える脊椎狭窄症に膀胱カテーテルの入った身体。

そんな二人だけで危機を乗り越えられるわけもなく
私は介護休業を無理やり職場からもぎ取り
2人を支えました。
母の他界。新型コロナ肺炎の世界的流行もあり
気落ちするばかりでいる父を介護するために
退職したのが丁度50歳の時でした。

仕事をさせて欲しいと父に申し出て、介護施設への入居を頼んでも
住み慣れ、母の気配の残る家を離れたくない父。

私の病気は介護でも「凶暴さと怒りを爆発」させました。
どれだけ喧嘩をしたか、わかりません。
怒りの発散が出来る場もなく
買ってきたキャベツに包丁を何度も突き立てて
大泣きしたこともありました。

私は未婚なので、一人で暮らしを成り立たせなければなりません。
支えてくれる人はいないのです。

「わかった。お父さんと心中するわ。
 会社も辞めたし、お父さんのお世話して
 お父さんが亡くなる日には、自殺するよ。
 その時まで、一緒にここで暮らそうね」

父はそのときは何も言いませんでした。

淡々と家事をし。お風呂や着替え、膀胱洗浄処置や紙パンツ交換。

そんなある日。
父が
「こんな親父の娘で可哀そうに。
 もうわかった。お前のしてくれる通りに従う。」

タオルで首を絞めろと私に詰め寄った父が
絶対に嫌だと訪問介護職員さんを困らせ続けてきた父が

娘を労わる親として、そこに居ました。


その父も今年の2月には他界しました。
病状が進み。高齢者住宅では対応が困難と言われて
24時間看護師常駐の有料老人ホームに転居して2か月後のことです。


父が他界して以来、私はほぼ泣いていません。
なぜか、悲しいという感情よりも
「良かったね、お母さんのところにようやく行かれたね」
その思いが先に立ちます。

私は、私が出来る最善を尽くしたと思っています。

一番悔やまれるのは
結婚し、孫を両親に抱かせてあげられなかったという
そこですね。


社会的には「日陰」しか歩けなかったので
今更「この世界の主役」になる気は
さらさらないのですが

私の生きた記録をこういうふうに残して
誰かが時に目を留めてくださって

似たような状況で苦しんでいる人に
自分だけではない、と思って頂けたら

意味もあるか・・・そう思っています。

私と明日は、命続くまで 二人三脚です。
世間の当たり前
世間のスタンダード
人並みな、あれこれ、
それとは 乖離が多い私です。

長く生きたい気持ちはないけれど

人生後半の中 
人生でひとつだけ
もしも 願い事が叶うなら

愛する誰かと出会い、
一緒に数年でもいいから
楽しかったね、と言える
穏やかな夫婦というものを 経験をしたいです。

そう願うと、涙が溢れるのは なぜでしょう。

父母の死も、20年付き合った恋人と別れた当時も
泣き崩れたりしなかったのに。

人の好き嫌いが激しいので
奇跡が起こらないと
出会いそのものが難しいでしょう。

だからこそ、奇跡を望んでみたい。そう思います。

病気持ちで、年々体力が落ちて
容姿もさほど際立つわけでもない。
女性が主婦としてできるスキルも持ち合わせていない。

そんな私でも、一生懸命生きていたら
この世界から一度くらいは
奇跡を見せてくれても、、、


・・・・・・なんてね。

思うだけで、どうしても涙がこぼれます(苦笑)

感情がうまくコントロールできなくて、
許してください。










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