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幸せを感じて

コロナに羅漢して5日経過。まだ微熱はあるものの、ようやく起き上がれるようになった。私の場合、頭痛が酷く嘔吐が続き、そこから発熱、咳。そして今は臭覚がきかなく、そのせいか味覚も以上になっている。ようやく、食べられるようになったのに、食べ物が美味しくないのは悲しすぎる。

そして、何より悲しいのは、5月9日より有休で休まなければならなくなったこと。しかも、現在の国の規定では、職場側としては安心できないとのことで、10日間は自宅待機だ。4月に息子の引っ越しで有休を取ったばかりの私には辛い。なんと言っても、仕事が山のようにあるのに。。。

発端は、夫が陽性となり、自宅待機をしている間に、隔離している部屋からチョロチョロ出てきていたのが悪い。私の目を盗んでは台所へ行き、手指消毒しないで、あちこち触れていたせいだ!! (夫は軽症)

されはさておき、万全でないとはいえ、こうしてデスクに迎えるまでに回復して改めて、真の幸福は健康だと思っている。大げさでもいいのだ。やはり、今はとっても幸せだし、普段は当たり前だと思っていたこと全てが、今日は特別な幸せとなっているのは間違いない。本当に嬉しい。

もう、どうしたって出勤できないし、人個人滋養方の関係で自宅ワークもできないとあらば、もう、これは自宅での生活を楽しむしかない。まずは積読から、と手にとったのが、西加奈子さんの「くもをさがす」だった。

あっというまに読み終えた。共感できるところがたくさんあった。
どこの国が暮らしやすいとか、死についてなどではなく、「生」について考えさせられた。

言うまでもなく、分断を生み、そして強化したのはコロナではなく、人間だ。人間は国境を作り、牢獄を作り、隣の家との間に壁を作り、隣の街との間にも壁を作ってきた。そしてそんな人間も、生まれたからには生きたいと願う。生きたいから、変異を繰り返す。他者との間に壁を作りながら。

「くもをさがす」西加奈子著

西さんからみた日本の狭さ(広義の意味での)について、読んでいて苦しい部分があった。同時に、でも私は、その日本で、これからも生きていかなくてはならないのだから、与えられた環境の中で、少しでも居心地の良い場所と人と生きやすさを見つけていかなければならないと。

どんなに気をつけていても、病気になる時はなる。覚悟なんてできない。
今回の数日の闘病があまりにも辛すぎて、次回コロナに罹患したら泣くだろうし
まだ出会っていない病魔に襲われたら、恐怖で自分を律することはできなくなってしまうだろう。でも、それでも私は、生きたいと願うだろう。

今日は起きていられることに素直に幸せを感じよう。食事が美味しくなったらまた幸せを感じよう。