父ではありませんが

4月から息子が社会人になる。引っ越し準備を手伝いながら、ウルウルと、、、している暇はない。マイペースな息子とペースが合わない。ここは全てを任せるべきなのだろうが、スポンサーとしてはそうもいかないものである。

あれこれ、動き回り忙しくしているのに夫と息子に、口煩いと言われたことに腹をたてながら、今日はビールを飲むことにした。ちなみに我が家は夫も子供たちもお酒に弱い体質で、付き合ってくれる人がいないため、私もいつのまにかお酒に弱くなっていた。私のお酒の相手は、猫さんたちがしてくれるが、大概は眠っている猫ちゃんに一人で話かけている。猫さんたち、いつもありがとう。

今日は、めずらしく息子が話相手をしてくれた。まずい、これは泣いてしまう。
と思ったら、母のダメ出し。はいはい、わかりました。ダメ母です。
いつのまにか随分と偉くなったこと。でもまぁ、気弱で泣き虫で、繊細で傷つきやすい息子がよくここまで逞しく育ったものである。私も頑張ったんじゃないかな?
もうね、誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めてみることにした。完璧じゃないけれど、頑張ったのだよ私は。そもそも完璧になんてなれるはずがない。

息子はめずらしく酔って(少量で酔う)彼女の話を始めた。いつも遊びにきてくれる可愛い彼女。これから遠距離恋愛になるみたい。どうなるかわからないけれど、ゆくゆくは結婚したいと。え!?   早くないか。あ、ゆくゆくね。うん。家族が増えるのを楽しみにしているよ。

ここで、「孫も楽しみだなぁ」という言葉を躊躇した。

「孫がみたいなんて言ったら、〇〇ハラスメントになる!? 自分の子供にだって言っちゃいけないんだった。いや、そもそも結婚だって、いろんな形があるからしなくてもいいし。楽しみにしているのもアウトかな。。などといろいろ考えてしまったのである。(ちょうど武田砂鉄さんの「父ではありませんが」を読んだばかりだった。)

子どもがいてもいなくても、どっちでもいいと思っている。そういうフラットな状態でいたいのだが、それをさせてくれない人や組織があるのならば、それはおかしいと思うんです、と言い続けていきたい。だってそれは、自分の生き方を軽んじられたようにものだから。家族はこうじゃなくっちゃとか、やっぱり子どもがいたからこそ、といった言説は、そうではない人を巻き込まないようにやってほしい。私は、私たちは、比較材料として生きているわけではないのだから。

「父ではありませんが」武田砂鉄より

そこで私は、そうだ、これだと。息子に言った。
「お母さん、性教育って教えてないよね。」と。

息子は、吹き出した。でも、意外にもくいついてきたのだった。
これは、チャンスだ。あれあれ。読んでほしいと思っていた本がある。
仕事用に購入した「おうち性教育はじめます」だ。
※職業を言うと本音が話せなくなるので、ここでは割愛します。

「思春期に入ったら生殖に関する話はまず親には聞いてこないからね、聞いてこないのだから、親から伝えようとしないのがむしろ健全だよね。」
「自分とは異なる新しい人格、他者。その人を操ったり支配しようとせず、その人の価値に着目し支援し尊敬する。そしてやがてその人は親から離れた新たな人たちとのつながりの中で、人生を拓いていく。」

「おうち性教育はじめます」村瀬幸浩より

息子の好きな漫画だし、きっと読んでくれると信じているが、、、今、息子の部屋からは、対戦ゲームなのか友達と話しているのか、叫び声が聞こえている。まぁ、いいか。子離れ、子離れ。

我が家の父は、テレビを観ながら話題に聞き耳をたてていた。さて、息子が旅たったあとは夫と二人の暮らしが、これまた、難題だったりするけれど、考えると酔いが冷めてしまうので、今日はこれでおしまい。息子が旅立ったら思い切り泣くぞー。(また、酔うぞー)

息子よ。社会は厳しいけれど、世の中は世知辛いけれど、あなたもあなたのままでいい。無理しすぎないでね。やり直しはできるから。旅立ちの日は、笑顔で見送るよ。



※タイトルにお借りした武田砂鉄さんの書籍は、父という立場ではない視点からみた現代の家族、女性をとりまく問題について語っています。「ではない立場」だから見えてくることもあります。私たちはアップデートしていかなくてはならないのだと思います。武田砂鉄さんは、100分de名著テキストの「群衆心理」を読んでからとても気になっているライターさんです。