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123天文台通りの下町翁 雑記帳~桐野夏生『日没』読後感とナオミ・クライン『ショックドクトリン(上)』を併読して~

読書することが身に付いてきたのは奥手だった。会社員時代まだ改革開放してまもない頃の北京に、1985年秋から3年間駐在員として滞在していた28歳からだ。天安門広場の悲劇が起こる少し前。それまでは受験生時代の受験参考書程度の読書と呼べない文字の追い方だった。だが当時の北京は外国人駐在員が遊びに行ける娯楽は少なく、ひたすら町中の路地裏、いわゆる胡同を巡って市民の生活を垣間見るか、長い夜を一時帰国時に買い込んだ新刊、新書、文庫本を問わず書籍を読み漁る習慣が嫌が応にも身に付いたのだ。

小生が好んで読み出したのは、ノンフィクション分野、町歩きや市井の人々が題材のエッセイ、そして文学なら池波正太郎の時代小説や阿刀田高の機知に富んだ作品群だった。事実は小説より奇なり、と言われるように、どんなに荒唐無稽な小説であっても事実に勝るものはないと、どちらかというと小説には入り込めず敬遠しがちなのだ。

しかし、新聞やネットでの話題を知って初めて読んだ桐野「日没」は今の日本の政権、それを支える社会や一部の熱狂的な人々、この国に色濃い世間のありかたと、文字を表現媒体として使う主人公の作家が追い込まれていく様が肌身に感じられる作品で一気に読ませた。併せて読んでいるカナダのジャーナリストの告発本と言える『ショックドクトリン』の第一部第一章で取り上げられたユーイン・キャメロン、CIA、そして米軍が世界の戦場、紛争地、基地などを使って体制に抗う人々を拷問し、虐殺し、悲惨な目に遭わす有り様とも大いに重なる問題作と言いたい。

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