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わたしの推しnote <絆は傷をふくんでいる>

poohさんの企画 #あなたの推しnote教えて に参加します。

この企画を見た時には、私はnoteにまだそれほど親しんでいない状態だったので、二カ月以上前のnote記事で「推し」なもの・・・今の自分には難しいなぁ・・・と沈黙して、他の方の「推し」を黙って読んでおりました。

それが、つい最近自分もnoteの中で「推し」という言葉を使ったではないか!という事にハタと気が付きました。(↓この記事です)

「推しに課金」=「献金」・・・・・ごめんなさい_(._.)_

いま改めて読み返すと、ずいぶんといい加減な事を書いています。ずっと昔に書いたように感じていましたが、二週間ほど前の記事でした。(自分の過去記事を見直すのはなかなかにキビシイ体験ですね・・・汗)

この記事を書く直前に、SNSなどで自らを貶めている苦しそうな言葉をいくつか目にしたのです。その事と、同じタイミングで見ていた奥田牧師の動画の内容が自分の頭の中でリンクしました。それでつい、こんな記事を書いてしまったわけです。(おにぎり猫のテーマと全く関係ないのに・・・)

私が東八幡キリスト教会を「推し」始めたのは、今年の春に行われていたクラウドファンディングがきっかけです。教会が母体のNPO法人「抱樸」は、いまホームレスの状況にある人を”共に生きる”ために手助けをする活動をしています。今年の流行病が引き起こしている、さらに怖い状況=経済が破綻する、その影響をもろに被って、仕事と住宅を失って命も失いかねない人たち。その人たちの住むところを確保するためのクラウドファンディングでした。

目標額が一億円。初めて見ると「えっ!!」と目が点になりそうな。SNSでも「それはないわ」的な声を見かけたりもしました。私も、クラウドファンディングに関連してYouTubeで毎週二回配信されていた対談動画を見なければ、同じことを思っていたでしょう。

対談の動画で一貫して語られていた事は、「命がいちばん大事」でした。対談を聴きながら台所仕事をしていて、心をつかまれて調理の手が止まった事もありました。とてもインパクトのある内容でした。

「命がだいじ」なのは当たり前のはずなのです。その当たり前のはずの事を語られて深く身に染みてしまうのは、当たり前が当たり前じゃなくなってしまっているのが、今の世だからでしょう。

ほんとうはそっちが当たり前のはずだと深いところで確信を持っていながら、それを否定する世の中で生きていて、自らを傷つけ続けたところがたくさんあるので(私に限らず多くの人が同じかと)、ほんらいの当たり前を斜めから見るしかなくなって、更に自らを傷つけ・・この悪循環が、世の中をよろしくない感じにしているのだと思います。

そのぐじゃぐじゃした悪循環を、ぱかーん、と放り投げてしまう力が、対談で語られる言葉の中にはありました。私もこっち側にいたい、と強く思いました。

そうしてSNSでクラウドファンディングを全力応援しつつ、抱樸のサイトを見たりしているうちに、東八幡キリスト教会に行きついて「推し」にまで至ったわけです。(推し推しってすみません、ホントに。でも課金へのお礼のメールを頂いて、「東八幡教会を推してます」って堂々と書いて返信したら、「推し」良いですね!たくさんの人に「推して」欲しいです、ってお返事を頂いたんですよ)

抱樸と奥田牧師のnoteには推したい記事がいくつもあります。二カ月以上前の記事の中で、たぶんこの記事が最も活動と内容が伝わりやすいと思いましたので、こちらの記事を #推し記事 にさせて頂きます。

素人の私があーだこーだと書き連ねるよりも、この記事を読んで頂きたいです。活動の本気度が伝わってきます。

もうひとつ、こちらは二カ月以上前ではないので、エントリーではなく参考資料として、抱樸noteの最新記事も推しておきます。

このような活動をしているのは、抱樸だけではないと思います。私はたまたま、クラウドファンディングを通して出会ったので、ここを推しています。今の自分の力では、この活動は出来ないけれども、理念と活動に全力賛同してしまうので、「推せる」タイミングで推してゆきたいと思います。

私の推しnoteでございました。

poohさん、締め切り直前になっての駆け込みエントリーでおそれいります。この企画のおかげで、以前の記事を読み返せて、今の自分の「一番推し」を胸を張ってここに書けました。素敵な企画をありがとうございました!

サポート頂けますと大変嬉しいです。制作を続ける力となります。