【お袋の婆ちゃん、オレの曾婆ちゃん】
オレのお袋。
1943年、昭和18年生まれ。 第二次世界大戦敗戦の2年前。
お袋は小学校2年の時、父親を列車事故で失い、お袋のかあちゃん(オレの婆ちゃん)はシングルマザーとしてお袋の姉、お袋の弟の3人の子供を育てる事を強いられる。
婆ちゃんの事は別の機会に語るとして、今日はオレのお袋の婆ちゃん。 オレの婆ちゃんの母親、曾婆ちゃんの事。
オレの婆ちゃんは明治後期、千葉県命を授かる。
婆ちゃんの家庭はその時代の家庭の多くがそうだったように、とても貧しかったそうだ。 そして、婆ちゃんが乳飲み子だった時に、婆ちゃんの父ちゃん、オレの曾爺さんは他界する。 今のオレへ命をつないでくれたこの曾爺さんについて、この世に生を受けて他界した以外何も知らない。
乳飲み子の婆ちゃんを独りで育てることになった曾婆ちゃんの苦労はオレの想像を遥かに超えるに違いない。
婆ちゃんが小さい頃、曾婆ちゃんに再婚の話が持ち上がる。
確か婆ちゃんが7、8歳頃だったと聞いた記憶がある。 小学校2、3年生の頃。 お相手は関東の資産家の家。 食べていくことがほぼ全ての曾婆ちゃんにしても婆ちゃんにしても、こんな願った話はない。
この文章を読んでくれている人は、この後『しかし、・・・』が来ることに
もう気付いているだろう。
『しかし、』一つだけ条件があった。
その条件とは、『曾婆ちゃん一人で嫁いでくる事。』
すなわち、実子であるオレの婆ちゃんを養子に出し、独りで別の家庭で別の名前を名乗り生きていくことを意味する。
そして、曾婆ちゃんは決断する。
婆ちゃんは九十九里浜の裕福な漁師家庭に養子として迎えられる。
そこで兄弟も出来た。
電話交換手として当時のエリート職に就く。
当時のイケイケ花型職だ。
(イケイケはオレの勝手な想像)
そして若くして結婚し三人の命をこの世に送り出す。
当時、爺ちゃんは旧国鉄職員。 エリート夫婦でダブルインカム。
今から70年近く前。
日本経済は敗戦から復興へ変化を始める頃。
いったいどんな家庭・・・ 全てがどんなだったのだろう。
一方の曾婆ちゃんは再婚先の家庭で子宝にも恵まれ豪邸で一生を終える。
オレが血の繋がった曾婆ちゃんに会ったのは一度だけだ。 確かオレが小学校低学年の時だったと思う。
婆ちゃんと同じような目をしていて、婆ちゃんより痩せているお婆さんだと思った。 大勢の先方親族が集まり曾婆ちゃんを囲んでお祝いの言葉をかけている。 オレと同じ年の子供も多く、いくつも続く畳間を駆け回っていた。
『さぁ、行くよ!』といった感じで、婆ちゃんとオレたち家族が曾婆ちゃんのところにいって挨拶をする。
ガキだったオレは今ここで書いたような複雑な事情など知る由もなく、説明されていても理解出来なかっただろう。
二人は離れ離れになってから初めて対面する。
挨拶に行った婆ちゃんは自分の母親に対してとてもよそよそしい。
一方の曾婆ちゃんは実の娘である婆ちゃんにずっと「ごめん(多分)」と謝り続ける。
これがオレの知る『曾婆ちゃん』の全てだ。
今は二人とも天国。
一体どんな話をしているのだろう。
天国から見下ろしながら、婆ちゃんは曾婆ちゃんに
この瞬間、微笑みながら、こう言っているだろう。
『あの落ち着きないのがKenGって言ってね。 自慢の孫なんだよ。』
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