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社長になって半月たっての考え

私は61歳!

世間では、「オバチャン」を通り越して
「おばあさん」に近い年齢であることの自覚はしっかりとある。

もう老眼が来ているし、長い間座りっぱなしだと腰痛になったりもする。
子供たちも俗に言うアラサーでそれぞれに独立し、遺伝的にも間違いなく孫なるものを連れて帰ってきても不思議でない。

立派にババアなのである。

私は、今までにも若い時はOLと呼ばれ
パート主婦となり、パート時代の上司と会社を立ち上げてからは、ナンバー2のポジションにいた。と言っても、他のみんなはパートさんであるのだが、主婦を集めて訪問介護の事業をしていた。ホームヘルパーさんを雇い、ケアマネージャーとしてケアプランなるものを考えては、身体の衰えで困るようになったお年寄りを支える事業をしていた。

と言うと、なかなかイケてるおばちゃんのようである。
田舎暮らしで、女性でもニーズがあって、そこそこ頭脳を使うような仕事でとなれば、ケアマネージャーという仕事は悪くないよね。
始まりは、平成12年に介護保険が施行されることになったことがきっかけだった。

平成のバブル経済で、夫の勤める中小企業までめちゃくちゃ業績上がって、ハワイに会社が連れて行ってくれたほどだった。

しかし、ある時、バブルは弾けてしまった。

その頃は、地価が上がって私たち夫婦は
「これでは、とても家が持てない。」と判断して夫の実家の隣の空き地に家を立てて街から引っ越していた。夫は長時間の通勤をして私はハンドメイドの小物を作ったり、教室で教えたりして子育てしていた。

そして、バブルが終わって不況になった。私たちは高い住宅をつかませられて、借金まみれにならずには済んだけど、夫の給料は横ばいになり、私のハンドメイドは売れなくなった。

それでどうしようってなって、市の広報をみたら、ホームヘルパーの募集の記事が目に入ったのだ。これなら、スキマ時間でできるかも。子供の教育費や自動車の買い替え資金ができるかもって、早速応募した。

それが、介護や福祉との出会いで、今の会社を一緒にはじめた社長(元社長かな)との出会いだった。思えば、ちっとも

「お年寄りのために、なんとか」
「高齢化日本をなんとかしなくては」

と言うような、高尚さもなく。自分でもできそうじゃんってだけではじめた。
若い子たちが、「お年寄りを元気に」とか「社会貢献」とかSNSで書いているけれど、結果としてそうなればいいとは思うけれど、私にとってはまずはこの仕事で、お金だった。

でも、なんか自分に向いていたのかとも思う面もあって、介護って要は人の人生を年取って弱るに任せるんじゃなくって、人為的に働きかけることで変えていく。
面倒臭い言い方だと、自立支援とか言うのだけど。

それって、「デザイン」って思考やん。って思った。

「デザイン」は自分のしたい仕事でもあったので、まあハンドメイドとして工芸作家になりたかったしで、対象が変わっただけで人手をかけて変化させるっていうのには変わりなし。お年寄りの人生の最後を「デザイン」と思うと私に向いているのかもって、そう思うと介護福祉士とってケアマネージャーまでとった。

でも、すると、施設のみんなは、自分の上司ばかりを見ている。本当の介護保険の意味なんかわかってない。ケアマネだって、自分の法人のサービスを使わせるためのプランなくせに、金銭を利用者に払わせる時にはビビって利用料金を安く抑えようとサービス事業所に無理な条件のプラン書いてくる。
園長や部長の方は見ていても、利用者さんのことは見ていない。利用者さんの自立なんてトンデモナイ!自立したら仕事減るし、、みたいなことですわ。上の人に振り回されているって思えて、支援者ぶっても自分の都合で働いているって感じて、嫌になった。その時のセンター長と起業の道を選んだ。

結局、国の方針に沿ってやっていこうとすると、上とぶつかり、下手すると神経的に参ってしまい自分が病人になってしまう。(事実、鬱になって離職する介護職は多い。)

15年も事業を続けたのは、喜んでくれる利用者がいたから、事業者さんが、病院が一緒にチームを組んでくれたから、と感謝している。介護プランがバッチリあったものができてくると、利用者さん自身の力で生きていけるようになってくる。それも何度も経験するとケアマネージメントに誇りややりがいが出てきた。

ご本人はそれでいいとして、その周辺には家族がいて、親が若いのに弱ったために学業を中止したり、離職する話はたくさんあって、家族への直接な支援って少ないよね。

度重なる改正のたびに訪問介護の報酬が下がり、地域の人口が減り、家族がお家で世話していく気力がなくなり、すぐに施設に入所して高齢者が街から消えていく。

それも、ケアする立場への支援が薄いからだとも感じるし、そこに援助ができないかとは義母を看取って気持ちに余裕ができて思ったことだった。

気楽に逃げ込める場所を作りたいなあ。「子育て」や「介護」や「仕事」や「家事」や世間で立派とされることから、逃げ出したいと思いませんか。

そこに、社長も年をとったのか新しいことには挑戦しなくなり、時代はコロナで一気に進んでいき、デジタルな世界に流れていく。

半月前に代表をかわった。イッパイイッパイ書類に名前を書いて判子をついて、、

その都度、その都度 はじめに取締役ってつけて。

雇われていると、事業を起こすではこんなに気持ちが違うんだ。っと感じた。自分でお金を生み出すようにしなくっちゃってことだね。

もう、介護保険のみに乗っかるのはやめよう。これって自分でサービスの値段を決めてないよね。これってお国の雇われ人。だよね。医療も介護も保険制度で国民は安心して利用できるので凄い制度で、世界に誇れると思うけれど、自分で自分の価値を決めることはできない。

お国のすることは、時間がかかる。こんなに急速な変化が起こるととてもついてはいけない。その隙間で保険の給付をお国の予想外の請求している事業もあるけれど、そこを改正のたびに潰していくのでやたらに複雑な制度になってしまった。

民間で新しいサービスを作る必要を感じるんだよね。介護保険の不便や実際に介護していて困ったことをサービスとして商品にしようと思っているんだ。

自分が譲ってもらったので、思いっきり変える。

仕事も遊びも生活も、すっかりシームレスに繋げて、24時間丸々使えるしね。

その選択をしたんだ。

充分に、ババアになっている私だけどね。

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