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15年間のありがとう

平成17年、私と社長は大きな社会福祉法人を飛び出した。

平成18年には介護保険の大きな改正が決まっていた。

「そんな時期に、一体どうして冒険するんだ。」

そんな声も聞こえてきた。

でも、もうこれ以上

「ここにはいない。」と決めていた。

平成18年 それまでは要支援の認定者でも

居宅介護支援事業所がプランを立てていたが、

地域包括支援センターなるものができて

普通のケアマネージャーは直接に担当できなくなり、

地域包括支援センターから委託を受けて援助する形となった。

言い換えれば、軽度者の支援は自治体がするようになった。

とにかく、行政機関の管轄するところが増えて給付額が抑えられた。

経営も今までの保険給付ジャブジャブとはいかない。

それでも、自分たちの理想の仕事をしたかった。

経営が軌道に乗りかけた頃に、社長が乳がんになった。

放射線治療や抗癌剤で髪の毛が抜けた。

でも、廃業せずに乗り切り、社長も癌を乗り切り

今までなんとかやってきた。

しかし、コロナ禍!

売り上げは半分になった。社長の膝もかなり悪くなり

まともに歩けない。どっちが支援者でどっちが利用者なん!

「もう、やめようか!」と二人で思った。

でもね!利用してくれるおじいさんやおばあさん

せめて、ケアプランだけでも生き延びて継続しようとなった。

みんなの首切ります。

法人を残すためです。ごめんね。

生き残って、また一緒に働いてもらえるまで

なんとか一人で、やっていきます。




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