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父の実家の墓じまい

早いもので、前におとずれてから10年経っている。

この前は子供たちが大学を卒業したので
記念にディズニーランドに行った時に、立ち寄ったのだ。

それから、子供たちの人生もそれぞれに変わっていって
一人ひとりの生活や家庭を持つようになった。

今日はそんな娘たちと父の先祖の眠る墓に報告に行った。

一人は夫と海外での生活をすることになり、
一人は自分でフリーになる決心をし、
私は会社を引き継いで代表になったから

その墓は、父の祖父が建てた墓で100年は経っている。

その頃の父親の実家は、大商人で大金持ちで大地主で
お金がジャブジャブ使えて、お寺に寄進したり
でっかい墓を立てたりした。

そんなに羽振りの良かった一族も
関東大震災で持っていた生糸工場が全部ダメになって
そして第二次世界大戦で没落は決定的になった。

終戦後の農地改革でたくさんあった農地は没収され
不労収益であった小作料は無くなってしまった。

そして、終戦で一文無しになった父は
大阪にやってきた。

ジャムを作る工場に雇われてボイラーの技師になって
働いていた。

お箸以外に重いものなんか持ったことがない
父にとっては生活がガラッと変わってしまった。

父の親は二人とも父が成人するまでに他界していて
父の財産として残っていたものは後見人であった
叔父たちに浪費されてしまっていた。

それで身寄りらしい身寄りもなくなって大阪に流れ着いたようであるが
その頃のことは父が語らなかったので、わからない。

ジャム工場の社長の勧めで、母と結婚して養子になり、
私と弟が生まれたのだ。

その父の先祖の墓が、耐震基準を満たしていないということで
解体を市から申し渡されている。

父は生きている間も、誰に対しても変わらない態度であった。
お金も地位もとても不確かで脆いものであることを
身をもって知っていたからだと思う。

人の価値はお金や地位では測れないと思っていると
よく言っていた。

来年中にも、父の祖先の墓は解体されることが決まった。

寺の住職も
「祟るから、、、」と
恐れていたが、行政の指導で決心したらしい。

父の血は受け継がれていくので、「祟ったりしないで欲しい」と
ご先祖にお願いした。

少しの石でも持ち帰って祀ってあげよう。

そうすれば魂も安らいでくれると思っている。

永遠に朽ちることがないと思われる石ですら、
時代には、時間には逆らえないのだ。

だからこそ、今を生きることが大切なのだ。

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