毒にも薬にもならなくても。
わたしね、毎日同じ景色を見てるうちに、あることを想像してたの。
同じ景色ってのは、駅までの道なんだけど、途中に木々がたくさん植えてある歩道があって、晴れた日にはそこに木漏れ日が落ちて。
その歩道を通るひとたちの頭や肩に、光が漏れては影がさして、また光が漏れて。
それがね、波みたいに揺らめいて、すごくきれいだった。
毎朝、きれいだなぁって思ってた。
その内ね、勝手に、ああこれは浄化の光だなぁって思ったの。
この下を通ったら、昨日のいやだったこととか全部全部忘れちゃって、忘れちゃってっていうか勝手に頭のなかから消されちゃって、みんな今日という新しい日を何事もなかったように生き始められる。
そういう浄化のための装置だって、誰かが仕組んだことなのかもしれないって、いつからかそんな風に想像してた。
だからみんなね、その下を通った後には、顔つきが変わるの。
顔色が明るくなって、足取りも軽くなって、心なしか姿勢もよくなって。
でもどこかみんな似たような目になる。魔法にかかったみたいな。
そして、じぶんだけ、その光にあたってもなんにも起きないことに気づいた。
昨日の嫌なことだって覚えてるし、顔つきだって変わんない。からだもちっとも軽くなんてなりやしない。
正直うらやましいなって思った、でも一様になっていく人たちが怖いなとも思ってた。
その浄化の恩恵を受けられないわたしがおかしいのか。それともみんながおかしいのか。
どっちかわかんなくなっていく、ただこの町の違和感にじぶんだけが気づいてる、みたいな話。
そういう風にね、物語を想像していた時期がよくあったの。
閉鎖的な町に住む子どもふたりが、町外れの教会で真実の名を授けあって一夜だけ自由に過ごす物語とか、かたくなに遺影だけを撮り続けるひとの物語とか。
でもいつからかそんな想像もすることがなくなって。
でも最近思う。そういう想像をすることすら忘れてたじぶんが怖い。
いつから大事なこと、忘れちゃってたんだろう。
だから今日だけは、わがままだけど、あなた、そこにいてくれますか。
わたしの物語を聞いてくれますか。
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