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奇跡の星・地球

先日、ヤフーニュースで宇宙飛行士・野口聡一さんのインタビュー記事が載っていた。

私たちが生きている地球での「生」は当たり前ではないのだ、ということをあらためて考えさせられた。

「(宇宙では)放っておくと自分は死ぬ、うまくいけば生きられる。命を続けることがいかに大変かを認識できます。宇宙船の外側に船外活動で出ているときは、手袋の先はもう死の世界です。」

普段の日常生活で私たちは、宇宙にぽっかり浮かぶ球体、丸い地球の上で生きている、なんて考えていなない。今、目に映る目の前に見えているものは、コンクリートの建物やアスファルトの道路や行きかう人々などだからだ。
そして、当たり前に呼吸をし、歩いたり、走ったり、食べたりして、「生」を満喫している。「生」が当たり前になっている。

しかし、宇宙に行くと、そうではない。

「圧倒的に死しかない世界で、ごく限られた生が同居しています。宇宙は限界まで死に近い場所」だということだ。

当たり前だが、私たちは、空気がないと生きていけない。その空気は無償で与えられている。空気や水や日光や重力や温かさや冷たさなど、地球や太陽から無償で与えらえているものをあげれば数限りない。

もしこれらが有料だったらどうだろう。1日分の空気〇〇円、ゆっくり椅子にすわって食事するための重力1回〇〇円、などなど。。。

冗談だが、しかし、私たちはあまりにも、生きていることが当たり前になって、地球や太陽に無償で与えられているものによって生かされている、ということを忘れてしまっている。

同じく、宇宙飛行士・山崎直子さんも別のインタビューでおっしゃっていた。
宇宙に憧れて宇宙に行った。
でも、宇宙に行って、宇宙から地球をみてみると、「宇宙が特別な存在なのではなく」「実は地球こそが特別で奇跡の存在なんだなと」わかった、とおっしゃっている。

これらを読んであらためて、私たちは奇跡の星・地球に生かされ、育まれているんだ、という思いを強くした。

宇宙では、このような地球の日常の「生」は当たり前ではないのだ。

私たちは地球に生かされ、育まれている。

まさに地球は、私たち地球人類の母。「母なる地球」ではないだろうか。

当たり前に「生」を提供してくれている「母なる地球」を思う時、感謝の気持ちが湧き上がってくる。

当たり前ではない、改めてそのことを感じて生きていかないとな、と思うのである。

ひるがえって、世界を見たときに、
世界各地での戦争は終わる気配はない。
国益や国境線で争いあっている。
そして、エネルギーや経済覇権を競った各国の水面下の争いも絶えない。

同じ地球に生かされ、生きている地球人なのに、である。

「母なる地球」は、そんな争いの絶えない地球人類を見たとき、どんな思いだろうか?

人間でも、兄弟姉妹が仲が悪く、喧嘩ばかりをして、怪我をしたり、傷つけ合っていれば、母親はどれだけ悲しむだろうか。同じ家族内で、仲良く過ごして欲しいと願うのに。

「母なる地球」は今の地球に生きる78億人以上の人類を、どれだけの苦悩と悲しみを抱えて、見守っているのか、想像しながら生きていると、
様々な事件、問題をみるたびに、このままではいけない、と思うのである。

さまざまなものを無償で与え、地球人類を生かしてくれている「母なる地球」を子供たち地球人類は悲しませてはいけない。

奇跡の星・地球に生きる者同士、仲良くやっていこうよ。
お母さんを悲しませてはいけないよ。

今回の宇宙飛行士の記事を読んで、やはり私はそう思うのである。

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