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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩/1-7-2/シャンパンボトルの地を訪ねてアルゴンヌの森へ02

https://www.youtube.com/watch?v=5smYJyH6J_o

朝食の後。ホテルからVerdunの街へ出た。マルス川を渡ってまっすぐショセ通りへ入る。街を散策しながらバス停Gare de Verdun駅でTER33080に乘って小一時間あまりLes Islettes Centre駅につく。アルゴンヌ ガラス美術館はすぐ近くだ。


アルゴンヌ ガラス美術館
Musée du Verre d'Argonne
64 rue J​​ules Bancelin
55120 LES ISLETTES

http://verre-argonne.org/

アルゴンヌの森周辺に拠点を構える焼き物職人たちは、ガロ・ロマン気に入ると、ローマ人たちが原料を地中海からインゴットとして運び、彼らにガラス製品を作らせるようになった。地元の職人たちはこれを溶解、し鋳込み絞りによる窓ガラスや色ガラスペーストによるモザイク、そして網で装飾したビーズやブレスレットなどの装飾品。ゴブレットウェアを中心としたテーブルグラスなど作った。これはローマ崩壊まで続いた。
「西ローマが倒れた時、ガリアが台頭した頃はインゴットの輸入が途絶えたんだ。職人たちは仕方なく今まで通りの陶器造りに戻ったんだよ」
「あなたっぽく云うなら帝国軍が去って新共和党時代になったわけね。アナキンが去ってエズラが動き始めるわけ?」
「ん~ガリア王国は残念ながら共和国制というより部族集団制だな。群雄割拠して中々方向性が定まらない時代だった。それを東からクローヴィスが征服した」
「フランク族でしょ」
「ん。フランク族もゲルマンから流れてきた連中だ。互いに戦いながら何れも決定的な支配者になれない連中の独りだった。ところがだな、フランク族クローヴィスは飛んでもなてことを思いついた」
「キリスト教になったということでしょ?」
「ん。西ローマ帝国に居を構える教会は、東ローマ帝国の都市型宗教でない道をすすんでいた。つまり西ローマ帝国後期から精力的にガリアに布教活動をしてたんだ。彼らはローマ街道をネットワークして無数のキリスト教教会を建てて布教活動をしてたんだよ」
「なぜそんなにガリア人たちにキリスト教は受け入れられたの?」
「戦後の韓国のアメリカ式キリスト教の布教と同じさ。教会に行けば、食べ物も衣料も貰える。仕事も貰えるんだ。徹底的な現世ご利益のある宗教団体だったんだ。あれと同じさ。ローマの農器工作技術と農作法を、教会はガリア人に教えたんだ。ガリア人は驚嘆したに違いない。瞬く間にキリスト教は広がって、西ローマ帝国が滅んだ後もそのまま土地に根付いていたんだよ。クローヴィスはこれに乘った。彼はフランク族の侵攻を『侵略ではなく聖戦』に替えちまったんだ。彼はキリスト教を迫害する連中相手に、地元のキリスト教徒たちの支援を受けて、『神に守られし者』として敢然と立ち向かったのさ。『四角い豆腐も切りよじゃぁ丸』・・てやつさ。この理屈でフランク王国による欧州中心部の平定が出来上がっていくんだ」
「びっくりする理屈ね。それが通っちゃったわけね」
「ん。ちなみにクローヴィスがキリスト教になったのも戴冠式もランスのノートルダム大聖堂で執り行った。だから歴代のフランス国王は必ずノートルダム大聖堂で戴冠式を行った。後にジャンヌ・ダルクがシャルル7世を連れた逃避行の末に向かったのもノートルダム大聖堂だ。シャルル7世は此処で王になった。だから彼は正統的な王になれたわけだ」
「あ~ノートルダム大聖堂にジャンヌダルクの銅像が有るのはそのせいなのね」
「ん。修道院は庇護者となったフランク王国を背景にして10世紀ころから次第に痛烈な実力をつけ始めるんだ。しかしお金はかかる。教会/修道院たちは、周辺教徒たちからのお布施だけじゃなくて、稼げる収入源を求め始めるようになった。ヴァルディンにもノートルダム教会があるけどな、彼らもそうだ。11世紀くらいから彼らは独自にタイル細工、鍛造品、ガラス細工などを作り始めたんだよ。豊かな土と薪になる灌木そしてノウハウが教区には溢れるほど有ったからね。これが教会の大きな資金源になった。
こうして12世紀くらいからアルゴンヌの森には幾つもの教会/修道院がガラス工房を興しはじめているんだ。ローマが去って一時は衰退していた産業が見る間に復活したわけさ」


アルゴンヌ ガラス美術館を散策すると、12世紀以降から隆盛を極めるガラス製品が数多く展示されている。
「食事の時のグラスがおおいのね」と嫁さんが言った。
「ゴブルテリーと言うそうだ。中央の貴族たちが挙ってこれを買った。パリだけじゃなくて英国でもね」
「英国も??」
「英国の産業を作った人々のコアはフランドル人なんだ」
「フランドル人?」
「今のオランダの南あたりな。ネーデルラントNederlandenだよ。ネーデルランドNederlandじゃないよ。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクのベネルクスあたりだ。ローマ帝国は属州ベルギカだったところだ。当時から羊毛の産地でね、毛織物が産業だった。フランク王国時代はフランドル伯領のものだった。1300年代になるとフランク王国の重税に喘いで多くのフランドル人が英国へ逃れたんだ。彼らはフランドルで毛織物が産業として躍進した頃に1000年代から英国の羊毛を買っていてね、両者の関係は早くから存在していた。ドーバー海峡を挟んで30kmしか離れていないからな」
「シャンパニューの大市も大きく栄えてたしな。マーケットは地中海にある諸都市とも繋がっていたんだよ。
・・でもね」
「なに?」
「ボトル瓶の生産は殆どなかった。壁面が薄いモノしか作れなかったからゴブルテリーや装飾品くらいが限界だったんだ。それに・・なにしろガラス製品は高価だったしな。金持ちのものでしかなかった。」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました