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金融封鎖と新円発行#01/1946年2月5日GHQ本部

1946年2月5日。第一生命6階612号室。執務室にいたコートーニー・ホイットニーの前には終戦連絡中央事務局参与・白洲次郎と大蔵大臣・渋沢敬三が座っていた。
そのとき、ホイットニーの肩には巨大な案件が二つ、圧し掛かっていた。ひとつは対日理事会対策である。彼らの発言力を削ぐために、民政局は全スタッフを投入して、ポッダム宣言に則った日本国憲法の規範制作を昨日から開始していた。その作業は来週13日までに終わらせなければならない。
そしてもうひとつは、来週にも始まろうとしている日本国の財政立て直し政策である。
これは1945年11月24日に発令されたSCAPIN337 Elimination of War Profits and Reorganization of National Finance(戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書)を基に、大蔵省が立てた極秘計画だった。

話を進める前に、ひとつ言いたいことが有る。僕らが、必ずいつも頭の何処かに置いておくべき事実についてだ。
それは戦争は全ての人々を不幸にするわけではないということだ。富と云う切り口で見るならば、戦争はある者を富ませ、ある者を貧困へ叩き込む。国と云うサイズで見るならば、戦争は巨大な借金を国に背負わせる。戦いに負ければこれはそのまま借財となり、勝てば膨大な利益として償還される。つまり言い方を換えるならば・・まさに戦争はドラスティックな経済行為そのものなのである。その経済行為の中で、人は死に傷つき悲嘆にくれ、そしてある者は膨大な富を得て哄笑するのだ。

戦いに負けた日本政府は、2020億円の負債を背負ったと試算されていた。これは1941年3月時の310億円と比べてみれば如何に膨大な金額だったかが判る。GNP比でいうと、ほぼ200%に膨れ上がっていた。国債の償還は間違いなく不能に陥ろうとしていた。
重ねて戦後処理のために日銀は大量の円を刷った。復興資金、復員兵の帰還費用、戦時国債の償還、停止していた軍需物資調達の支払い、軍票を使用させないために進駐軍への多額な円札の引き渡しなどなど。火急な支払いのために日銀は、円を刷りまくった。その急激な過剰供給が、急速なインフレをもたらしていた。
強制的な戦時経済統制が終わりを遂げると共に、解き放たれたマーケットは、溢れかえる円札のために大混乱に陥っていたのである。
その混乱と、戦争によって背負った負債をどう処置するか。それについての指令がSCAPIN337である。

SCAPIN337は、戦時利得税の創設、戦時補償の封鎖などを指令していた。目的は戦後インフレーションを抑制することである。そしてそのための資金を何処から集めるべきかを提示していた。具体的に「戦争によって多大な利益を得た者から取れ」とあった。
この司令に沿って、年明け1月2日首相官邸に各省主務者を集めて緊急経済対策会議が開かれた。
この席上、内閣書記官長次田大三郎は「此の内閣は食糧内閣という性格にはっきりする」と声明し、食糧対策を中心とした総合的な対策案作成を謳っている。金融処置は、その対策案の中に埋め込まれた。綺麗なオブラートに包まれたわけである。

しかし、1月17日より始まっている具体的な方策についてのGHQとの交渉は、難航を極めた。
GHQ側は、SCAPIN337に明示されている「戦争利権によって肥えた財閥たちの解体」という行動を強く求めたのである。しかし当時も現在も、日本の施政者の大半は財閥系の関係者かそれにブル下がる人々だ。つまりSCAPIN337は、今この瞬間、敗戦処理に対処している人々に対して、自らの首を締めよという司令でもあったのだ。
なぜ自分の首を絞める指令に従わなくてはならないのか。そんな本音を云えない日本政府側の建前論は、GHQとの調整で衝突を繰り返した。

痺れをきらした幣原総理が、病み上がりを押して1月24日にマッカーサーを訪ねた。
GHQから届けられたペニシリンによって酷い風邪から救われたお礼と云うのが表向きの理由だった。しかし本当の目的は、最大の争点だったGHQから提示された財産税導入にあたっての課税率、累進制とし最大90%にせよという指示を、ぜひ見直していただきたいという嘆願だった。

「90%では、日本国を支えられるキーパーソンの大半が没落してしまいます。彼らが国を支えようと云う熱意を失えば、天皇陛下の御意思である無血開城も足元から崩れ、各地で反乱が起きる可能性がございます。」幣原は言った。
マッカーサーはその幣原の苦渋に事もなげに答えた
「ドイツはナチスの禍根を国民全員で背負った。負の遺産は、必ず国民全員で背負わなければならない。確かに貴君の言う通り不満分子による反乱が起きる可能性はある。しかしだからこそ富豪の者らを生贄として弑(しい)るのである。そうすることで貴君の民らは"ならば仕方ない"と納得するはずだ。自分の痛みは、自分より痛い者がいる時は、我慢できるものだ」
「しかし、もし。もし反乱となれば・・警察以上の武器を持たない我々に暴徒を抑える力はありません。」
「必要ない。暴徒が出れば我々が抑える。貴君らにそれを望まない」マッカーサーは傲然と言った。
幣原は言葉を詰まらせた。
「いっそのこと・・いっそのこと・・我々は内憂を払拭するために、、日本人は今後金輪際警察以上の火器を持たないほうが良いのかもしれませんな。そうすれば無為な殺し合いが国内に起きることはない。」そう口にしたとき、幣原は太閤秀吉の刀狩りを思い浮かべた。
マッカーサーは黙って幣原を見つめていた。
幣原も沈黙したままになった。そして悄然と退室した。
そして幣原は帰りのエレベーターの中で泣いた。車に乗ってもまだ、その涙は止まらなかった。
万が一の暴動を抑止するには・・幣原は独り言を漏らした「陛下にお縋りするしかないかもしれない」

首相官邸に呼びだされた大蔵大臣・渋沢敬三と終戦連絡中央事務局参与・白洲次郎は、その報告を幣原から直接聞いた。マッカーサーが言った「自分の痛みは、自分より痛い者がいる時は、我慢できるものだ」という言葉の意味を幣原は理解していなかった。しかし幣原からその言葉を聞いた瞬間、渋沢も白洲も瞬時にその意味を理解した。
今回の累進課税によって、たしかに富裕層は没落に追い込まれる。しかし、実態として徴収できる金額が一番大きいのは中間層なのだ。財産税のボリュームゾーンは2%程度の富豪たちではない。90%という高額徴収でその富豪たちを「生贄として弑(しい)る」ならば・・目くらましになる。
自ら十字架につく覚悟を持てということか。渋沢はそう思った。

その渋沢が、ホイットニーの前で、端正な英語で淡々と来週末以降のスケジュールを話していた。
その話の内容と渋沢の態度の格差に、ホイットニーは内心驚いていた。彼は目の前でしゃべる渋沢敬三が何者であるか、熟知していた。渋沢は、この税で最大の損害を受ける一族の一人だ。
「法案として衆議院を通します。徴税権の行使として実行いたします。税率は最低25%から最高で90%と14段階で設定し、全ての国民を課税対象にいたします。この税収は国債残高を削減に充てますが、実は今期税収が過去年の半分以下に落ち込んでおります。この補填にも充てたいと考えております。」
「取り付け騒ぎに陥る可能性は?」はホイットニーが畳み込むようにいうと、渋沢は動じないまま応えた。
「2月17日・月曜日より、バンクホリデーとします。すべての金融機関を停めます。発表は2月16日・日曜日の夜に幣原総理よりラジオを通して行います。そして3月3日までに、預託されている全ての私有財産について9%程度を徴税と云う形で没収します。」
「社会的な影響は?」ホイットニーは聞いた。
「財産税の対象者は、総資産額が10万円以上です。庶民の大半は影響を受けません。」渋沢はきっぱりと言った。
現在の物価からみると、終戦直後の10万円は現在の5000万円程度にあたる。たしかに一般庶民には影響はなかった。資産の簒奪は中産階級を目がけて実施されたのである。これは90代バブルも同様だった。小金持ちたちが血祭りに挙げられることで、バブル破裂が補填されたのだ。同じ遣り口である。
「むしろ庶民への影響として見るならば、新札の発行のが大きいと考えられます。」渋沢は言った。
新円への切り替えは、財産税導入と同時に実施されることになっていた。国民が持つ全ての金を洗い出す為である。銀行へ持ち込まないと、すべて紙屑になる。
「現在のところ、新札の発行が追いついていません。旧札に証紙を貼って使うことになります。かなりの混乱を市場にもたらすと考えます。」
「治安は?とくに地方における治安は?」ホイットニーが言った。
「2月19日より、今上天皇が全国の巡幸をなされます。」白洲次郎が応えた。
今日の席に白洲が参加したのは、この一言を言うためだった。
ホイットニーは大きくため息をついた。
「ここでもまた、天皇が起こす奇跡か・・」ホイットニーがポツリと言った。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました