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小説日本国憲法4-3/しめやかな解散宣言

3月11日月曜日。第二十二回総選挙告示の日、特別チャーター機でワシントンDCへ向かったハッシー中佐が普通輸送機を乗り継いで厚木へ戻った。早朝だった。まだ夜明け前だった。降機すると、ハッシーは日比谷第一生命会館GHQまで、ジープの手配をしてくれと、迎えた尉官に指示した。すると、彼が言った。
「お迎えの車が来ております。」
尉官が指差した先に、黒いセダンが停まっていた。
ケーディス大佐とラウエル中佐だった。ハッシーは驚嘆した。
「おお!こいつはありがたい。」ハッシーは喜んだ。
乗り込むと、ケーディスが言った。
「ジープじゃ寒いからな。准将の車で迎えに来た。」
たしかにホイットニーがいつも使ってるフォード45年型のセダンだった。
「よく准将が許可したな。」ハッシーが言った。
「許可しないさ。勝手に乗ってきたんだ。准将は今朝は幌なしのジープだ。」ラウエルが笑いながら言った。
走り始めて、基地のゲートを出ると、ケーディスが胸のポケットをごそごそとかき回して、小さなウィスキーケトルを三つ出した。 
「昼から、簡単な食事会をやると准将は言ってたがな。そのまえに我々だけで乾杯だ。」ケーディスが言った。
三人はそのケトルを掲げた。
「乾杯!ラウエルの取り揃えた資料に!」ハッシーが言った。「あれがなければ9日で作るのは不可能だった。」
全員が呷った。ハッシーが驚嘆した。
「うまい!なんだこれは!」
「空skyの酒さ。鍵keyの酒じゃない。カズコから届けもんだ。”大佐と皆さんに”と言ってもってきた。」ケーディスが言った。
「カズコ?・・あのバンカー大佐のところへ出入りしてる女性か?」ハッシーが言った。
「そうだ。吉田の娘だ。」ラウエルが飲みながら言った。
それにしても空の酒って何だ?」ハッシーが言った。
「Whiskyさ。Whiskeyじゃない。」ケーディスが自慢げに言った。
Whiskyは英国産の酒である。Whiskeyはアイルランドの血を継ぐアメリカの酒、バーボンの呼称だ。
「なるほど・・空の酒か。ハイランドの空が思い浮かぶな。」ハッシーが言った。
「昨日、カズコが大事そうに持ってきた。皇室のコレクションだと言ってた。お礼だそうだ。」ケーディスがグビグヒと飲りながら言った。
「こいつを勿体ぶって見せながら、彼女が言ったんだ。これは空skyの酒です。鍵keyの酒ではありません、とな。」
「なるほどな。あの綺麗な英語の美人か。なかなか言うこともしゃれているな・・ところで、どこからのお礼なんだ?松本からじゃあるまい。吉田か?」ハッシーが不思議そうに聞いた。
「聞いてみたよ。そしたら”オソレオオイ”から応えられないとさ。」
「またもや”オソレオオイ”かぁ、准将が聞いたら頭から湯気出して怒るぞ。」
全員で大笑いした。

3人が乗る軍用フォード45年型が宿舎にしている帝国ホテルの正面玄関に着いたのは午前7時ごろ、そのまま3人は朝食のテーブルに付き、食事が終わると談笑しながら一緒に第一生命会館GHQへ登庁した。午前8 時ごろだったろうか。603号室ケーディス、604号室ラウエル、605号室ハッシーと、夫々自分たちの部屋へ入ると、次官たちがすぐさま書類の束を持って夫々の部屋に入って行った。そして昼までそのまま日常業務となった。火急に処理しなければならない案件がヤマのようにあったのだ。特に農地問題と総選挙問題が大きかった。三人はそれに奔走していた。彼らにとって、憲法問題は既に終わった事案だったのである。
ホイットニー准将登庁の知らせを秘書官から聞くと、ハッシーはワシントンで渡された書類を携えて601号ホイットニー執務室へ入った。ホイットニーは、その日のマッカーサーとの会合に、ハッシーを伴って出席した。ハッシーは10分ほどでマッカーサー室を退室し、自分の部屋へ戻った。いつもは厳しい表情で威厳を保っているマッカーサーが、その日は上機嫌だったのが記憶に残った。10日に、極東委員会が憲法草案についてマッカーサーが望んでいたような政策決定したからにちがいない。ハッシーはそう思った。

昼になると、秘書官が「大会議室にお集まりいただきたいとのことです。」とメッセージを持ってきた。大会議室と云うのは、GHQ憲法草案を9日間で作り上げた、あの部屋のことである。仕事を切り上げて出かけてみると、大きなテーブルが幾つか設えてあり、テーブルの上には軽食と飲み物が並べられていた。そして憲法草案を作ったメンバー全員が集まっていた。ハッシーは呼ばれるまま、ケーディスとラウエルの間に座った。
「どうした?」ハッシーが言った。
「准将の指示だそうだ。」ケーディスが応えた。
全員が穏やかに談笑しているところへ、ホイットニーが秘書官を伴わず一人で、それも手ぶらで入ってきた。全員が起立した。
「座ってくれ」ホイットニーが言った。
「さて。紳士淑女諸君。本日お集まりいただいたのは他でもない、日本憲法草案制作チームの件である。諸君らの超人的な努力を持って産み出された草案は、予定通り日本国政府が自分たちのアイデアであると内外に発表した。紆余曲折はあったが、まことに喜ばしい結果になった。また世論の反応も極めて宜しい。民主的であるということが、どういうことか、日本国民はようやく知ったに違いと私は確信している。これらは全て諸君らの業績であり、諸君らが賞賛されるべきものである。
しかしながら、こうした諸君らの努力の結晶は、本日この場を持って封印する。日本憲法草案制作チームは、いまここで解散する。諸君らの9日間はすべて無くなる。今後絶対に口にされることは、日本側からも我々からもない。
大変心苦しいが、諸君らには、なんの褒賞も無い。勲章もない。この件について、諸君らを賞賛するのは、いまここでいう私の言葉が最後だ。さあ、テーブルの軽食とコーヒーを楽しんでくれたまえ。せめてもの労いだと思って欲しい。そしてあの9日間のことをひとしきり話題にしてくれたまえ。しかしドアを出た瞬間に、すべてを忘れてほしい。・・以上だ。」
それだけいうと、ホイットニーはそのまま大会議室を出た。全員が一斉に起立した。
その後姿を見ながら椅子に座ったケーディスが言った。
「しかし・・准将。いまここでいう私の言葉が最後だと言ったが・・何か我々を賞賛するようなことを・・いま言ったか?」全員がその声を聞いた。すぐさまラウエルが応えた。
「言い忘れたんだろう。いつものことだ。」全員が爆笑した。
以降、50年あまり、このGHQ草案の存在は極秘扱いされた。この草案が公然のものとなるのは長い時が必要だった。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました