見出し画像

黒海の記憶#07/大洪水時代#02

オデッサのすぐ傍にあるチェルノモルスク港でspitterのアルミタンクを降ろしているとき、船内で仲良くなった二等航海士が近づいてきた。そして言った。「復路は?乗られないんですか?」
「はい。飛行機で戻ろうと思っています」僕が言うと彼が笑った。
「そうですか・・でも、陸路で空港へ行くより、おそらくイスタンブルに戻られて機上につくほうが早いですよ。」
「?」僕が不思議そうな顔をすると彼が続けて言った。
「この海の海流は常時時計と逆回りなんです。流れ込む川の勢いが決めいているんです。だから帰り、巧く海流に乗れば明日にはイスタンブルに着いています。」
僕は驚いた。本部の人間には思いもつかない話だ。
「川が?」
「はい。川がこの海に流れる勢いはすごいです。ドナウ川とリオニ川ですね。この二つの水流が海流の方向を決定づけている。」
・・なるほど。僕は黒海の全景を一瞬幻視したような気分になった。

この一か所しか地中海と繋がっていない閉じられた海は423,000平方キロメートル。小さくもないが大きくはない。クリミア半島とトルコの海岸線の間は230km。その真ん中に船を置けば・・天気の良い日は両岸が見えるという。アルゴー号が金色羊を求めて辿った海路だ。

膨大な水流で無数の村が飲み込まれた後、その遺産継承した人々がいくつかの王国を新・海水製黒海の周辺に立ち上げたことはまちがいない。しかし哀しいことに、幾多の流転がこれらの形跡の殆どを消しつくしてしまった。それでも・・たとえば秀逸な金製品が大量に作られていたことは分かっている。既に冶金技術が確立していたのである。現ブルガリアでは最古の金製品が見つかっており、アルゴー号が金色羊を求めて旅に出るほど、この地がエルドラドであることは、エーゲ海まで知れわたっていたのだ。

再度書く。423,000平方キロメートルの内海は、小さくもないが大きくはない。海を挟んで多くの交易が早くから行われていたことは分かっている。黒海周辺で発掘される陶器・器具類は驚くほど共通しているのである。
今はクリミアと呼ばれている地も、もともとキンメリア人の地だった。

ストラボンから引用しよう「地理誌Geōgraphiká第1巻第3章21」である。
「キンメリオイ族はその名をトレレス族ともいい、あるいは後者が前者の一部族だともいうが、この部族はしばしば黒海右岸域や自分たちの地方に隣接する諸地域へ侵入し、時にはパフラゴニア地方へ入り、さらにプリュギアの諸地方へも入った。後者への侵入はミダスが雄牛の血を飲んで死の運命に身を任せたという話のある時の出来ごとだった。
リュグダミスは自分の部族を率いてリュディア、イオニア両地方にまで進み、サルデイス市を陥れたが、キリキア地方で落命した。キンメリオイ、トレレス両族ともしばしばこのような侵略を行ったが、話によるとコボスの率いるトレレス族は最後にはスキュタイ族の王マデュスの手でその地方を追われた。」

画像1


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました