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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩4-8/バスを使ってヴォーヌ・ロマネ歩き#08

https://www.youtube.com/watch?v=nXXFd_IIkQg

グランエシェゾーGrands Echézeaux(21640 Flagey-Echézeaux)とエシェゾーEchezeaux(21640 Flagey-Echézeaux)の間を走る道をまっすぐ見ると、右にクロ・デ・ヴージョ城Château du Clos de Vougeot(Rue de la Montagne, 21640 Vougeot)が見える。
http://www.closdevougeot.fr/
迷いようもなく真っ直ぐな道だ。
「この辺からロマネ村じゃなくなる。ヴージョVougeotになる」
クルマの通りは全くないから自転車は2台並んでゆっくりと走った。道は下り坂だ。
「ほんとに広い所ねぇ。全部、葡萄畑・・」
「ここからは見えないがヴージョ川La Vougeがある。シャンボール・ミュジニの丘に湧き出た水が川になってる。サンㇲフォン川La Sansfondと並行してソーヌ川に流れ込んでいる。そのヴージョ川を境目にして、こちら側がヴージョVougeotと呼ばれているんだ。此処にシトー派の修道院Abbaye Notre-Dame de Cîteaux(Abbaye Notre-Dame de Cîteaux, CS 50047, 21702 Nuits-Saint-Georges Cedex)が出来たのは1098年からとモノの本には書いてある。
https://citeaux-abbaye.org/
開墾は1110年ころから始まり、1336年には全てかれらの所有になっていたそうだ。そのときに建てられた城壁が、いま見たものだ」
「道路に並んで立っていた低い壁?」
「ん。今のように城の形になったのは1559年。第48代修道院長Dom Jean XI Loisierの住居として建てられたんだ」
「ふうん。お城みたいな邸宅ね」
「ん。シトー派=清く貧しくは終わっていた」
僕らは、城の前に自転車をおいて建物に入ってみた。
中に4台の圧搾機が展示されていた。
「最初の農業革命が始まって、こうした工作機が色々と開発された。キャプスタン式圧搾機だ」
「木製なのね」
「ステンは存在しないからな」

奥にタペストリーのある部屋がある。年に一回、11月の第3土曜日「栄光の三日間Les Trois Glorieuses」に利き酒騎士団の入団式と晩餐会がひらかれている。一巡したあと、再度自転車に乗った。
「そして1789年だ。修道院は何処も徹底的に破壊された。・・気が済むほど破壊が終わった後、競売にかけられた。
買ったのは・・銀行屋のニコラ・デフェール・ド・ラ・ヌエールNicolas Defer de la Nouerreだ」
「ロマネコンティを買った人」
「ん。ヌエールは後年、事業に失敗して破産した。管財人は此処の売却を試みたが、金を出すのが外国人ばかりだった。それを嫌った地元のネゴシアンが資金を集めて買い取ったんだが、共同所有者は15人になってしまった。これが第一次世界大戦をはさんで40人に増えた。いまは80人以上いる」
僕らはゆっくりとロマネ村に向かって走った。畑は北西の角から南と東に向かって緩やかに傾斜している。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました