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北京逍遥#07/白雲観で考えたタオという中国人の魂について#01

頤和園を散策しながら、西太后の話をよくした。僕が西太后を世紀の悪女扱いをしないことに通訳兼ガイド君は内心驚いていたようだった。そのときも、僕がいつものように西太后をめぐるエピソードを引用しながら歩いていると彼が言った。
「先生のお話に出て来る西太后には、国を滅ぼした極悪人という印象がないのですが。どちらかというと、西太后へは慈しみの気持ちを先生が持たれているような印象を受けてしまいます」
「おお、そうかぁ。直球で聞いてくるねぇ。そのとおり、僕は彼女の"清国を疲弊させた施政者"という一面以外のものも見つめてるんだよ。慈禧太后だよ。みんなそう呼んでいた。
西太后=極悪人説は、英国の諜報員で辛亥革命仕掛け人の一人、エドマンド・トリローニー・バックハウスSir Edmund Trelawny Backhouseが書いた『China under the empress dowager』のせいだ。西太后は大嫌いだった麗妃の手足を切断して甕の中で飼ったとかね、全部嘘だ。」
「え、嘘なんですか?」通訳兼ガイド君は驚いた。
「ああ、そんな話が裏取りもしないまま列挙したのがあの本だ。
https://archive.org/details/chinaunderempres01blan/
清国を支配下に置きたい英国にとって西太后は、どうしても世紀の悪魔である必要があったんだよ」
「なるほど」
「それがそのまま彼女に対する定説になった。西太后の諡号を知ってるかい?孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇熙配天興聖顕皇后だ。彼女は市井の民から愛された皇太后だった。悪意をもって書かれた文献を鵜呑みにするのは間違いだ」
「たしかにおっしゃる通りです」

「慈禧太后Cixi Taihoだよ。・・この呼び名にはタオの匂いが強い。彼女は崇められるべき存在だったんだ。タオは中国人chinaの心の根幹にあるものだ。慈禧太后とタオへの思慕は深く重なり合うものが多い。もちろんタオは今でも生きている。
だからね。僕は却って聞きたい。戦後共産党支配になった中国で、タオと重なり合うほど思慕を持って民に見つめられた指導者は誰か居るかい」
「いえ・・むしろタオは大っぴらに語ることも祀ることも禁止されました」通訳兼ガイド君は言い難そうにつぶやいた。
「となると・・毛沢東と慈禧太后について、民のレベルから比較したい誘惑にかられないかい?」と僕が笑いながら言うと、彼は血相を変えて首をふった。「とんでもない。そんなことは絶対にしません。お願いですから、それ以上は口にされないように。誰か偶々傍に日本語の判る者がいたら、とんでもないことになります」
「わかった・・わるかった。まあ~でも、タオ話は良いよな?学究的な話はいいよな?」
「ええ。まあ・・」
「タオを教義として宗教活動していた教団は、当時から二つあった。全真教と正一派の二つだ」
「はい」通訳兼ガイド君が頷いた。
「違いは?」僕が聞くと
「全真教は出家で、正一派は在家だったと思います」
「ん。正一派は、近在の人々を相手に呪術儀礼を商ってる。全真教は求道的だ。道観に求道者たちと共に生活し、仙人への道を目指す」
「全真教の道士に会うことは、あまりないですね。市井で見かけるのは正一派の道士ばかりです。現状、タオを教義とする宗教団体は100あまり有りますが、殆どが在家方式です。しかし党は、厳しくこれらの団体に制約を加えています。野放図にすると拝金主義に走ってしまうからです。なので道術を行使する対象や方法を厳しく管理してます。特に国家に対する反動的な活動になるような発言行動はすぐさま処罰を受けます」と通訳兼ガイド君が言った。
「ん。いずれの教団も経典は『道蔵』なんだが、異伝外伝が多くて実は混沌としている。戦後の弾圧の波が過ぎた後、北京に『中国道教協会』が立ち上がったが、残念ながら経典の整備・統一までには至ってない。それが今だに分派が乱立している大きな理由だろうな。キリスト教の場合、ローマ時代に各教会で勝手に出していた聖書を統合する会議が開かれている」
「そうなんですか!?」
「ああ、いまの聖書はその時に編纂されたものだ。無数にあった聖書は、異伝・外伝として別物になった。これが聖書がその後1700年も持った理由さ。教会道教がこれを為さないと、道家は今後より混沌としたものになって、今よりさらに衰退するかもしれないな」
僕がそういうと、通訳兼ガイド君は下を向いてしまった。
「僕がもしそんなことを口にしたら・・母は悲しみます」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました