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東京散歩・本郷小石川#10/護国寺雑司ヶ谷台地

さてさて。想像のトンビ、今度は小石川台地の上を飛ぶ。それほど高く飛ばなくても小石川台地が小日向台地と一本になっていることは判る。

見比べれば小日向台地の方が高い。2つの台地を分けているのは茗荷谷方面へ食い込んでいる小さな谷間だ。旧教育大学付近で標高30mあると、いま内緒で見てる地図に書いてある(トンビは地図見ない)小日向台地は起伏に富んでいる。海岸線に近いためだろうか、茗荷谷や窪(町)がはいり込む。

比して小石川台は比較的緩やかで標高は20~25mくらいで、突端に礫川公園がある。此処は陸軍砲兵工廠があったところで、今は何の累歴か(知ってる)東京ドームの一部になっている。それでも小石川台地南側は江戸川の谷で現新宿区に向いているが、こちらはかなり急斜面である。

この江戸川の流れってぇのは神田川だ。神田川について書き始めると止まらなくなるから端折って、小日向台地の西側にある音羽谷を挟む関口台地に触れたい。関口台の西側は目白台になる。関口台の名前の由来は、天正18年(1590)に神田上水を此処で堰き止めて江戸市内へ送る前の嵩稼ぎをしたところだからだ。「堰(せき)の口」というのが由来だ。神田上水に臨む台地斜面は、関口芭蕉庵、椿山荘がある。近年では台地上に東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。こいつは丹下健三の設計だ。

さて、音羽谷だが落差20m程度か・・突きあたりが護国寺だ。こんど護国寺を訪ねた折には是非トンビ目線になってください。

音羽谷の門前から見た風景は、近世になって生えたカビみたいな建物群をデリートしなくても十分圧巻である。

この護国寺がある台地は雑司ヶ谷台地と呼ばれている。池袋方面から南下する台地の末端だ。南西は雑司ヶ谷を隔てて関口台地と接し、東南は小日向台地に接している。

んんんん。トンビはくたびれた。この辺り何処も彼処も坂ばかりで、健脚を誇る人だけが日和下駄できる町だ。

ちょいと整理しよう。本郷小石川は「山ノ手」と呼ばれるほど、江戸の埋め立て現中央区台東区からみると崖の上に有る町だ。前述したように武蔵野台地の東端どんつまりが本郷小石川になる。武蔵野台地奥多摩山塊は東に広がっている。まるで手を広げたような形状をしており多摩川と荒川のあいだをやや東南に広がっている。手の甲の頂上は青梅で標高190m程度。これが緩やかに下る。その襞の中に東京はある。

襞は三分類できる。①は世田谷から目黒大崎を抜けて芝白金台になるもの。②は杉並高井戸から新宿四谷の台地。そして赤坂麻布六本木、芝に至る台地。そのすり鉢のしたにドブのようにあるの渋谷。③は練馬あたりから板橋そして巣鴨から、いま話題にしている関口台/小石川台/本郷台に伸びているものである。そして少し離れて上野台がある。その谷部が茗荷谷、清水谷、指ヶ谷。そして川と池が、江戸川や石神井川そして三宝寺池、善福寺池、井之頭池などだ。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました