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黒海の記憶・番外/ウードゥルのアララト#03

「俺の家からは、美しいアララトの姿が見える」と言うファーティフ/Fの表情が、微笑みながらも、まるで遠くを見るようだった理由が分かったのは何年も経ってからだった。彼は当時、イスタンブル新市街に拠点を置く彼の会社の近くに、家族と別れて一人で暮らしていたのだ。
「OK、ありがとう。次の訪欧の時にスケジュールを絞り出すよ」僕が言うと彼が大きくうなずいた。
「アララト以外は何も見るものがない街だがな、しかし他では絶対飲めないボガツケレやエキュツゲツュ、カレチクカラスで作ったワインはあるぜ」
「そりゃすごい!」
全てのワインのための葡萄を産み出した、母なる木の直系種だ。
「rakiを作るために植えるんだがな。実はスティルワインも作ってる。アララトを見ながらウチのテラスで飲もうぜ」ファーティフ/Fと言った。
今度は僕が大きく頷いた。

ところが・・その翌年、大きな地震がトルコを襲った。休暇旅行の騒ぎじゃない大地震だ。「しばらく様子を見よう」と電話で話し合った。
そして2001年である。2月22日、トルコ政府は自国通貨リラを変動相場制に移行した。実施的なリラ切り下げだ。リラは売られた。トルコ政府は1日で保有している外貨の1/3を失った。猛烈な勢いで外国資本は撤収し、国内企業はバタバタと倒産した。ファーティフ/Fの会社も例外ではなかった。とんでもない追証に晒されて、文字通り一晩で破産したのだ。彼とは全く連絡が取れなくなった。
ただちにIMFが介入したが、守られたのは基幹産業だけだった。国内金融業の大半はもずくとなって消えた。
エルドランが大統領なったのは翌年の2002年である。この年から、各所で無差別テロが始まった。
・・トルコは遥か遠い国になってしまった。

それでも空路で、中央アナトリア高原を越えて東アナトリア地方上空を飛ぶ飛行機に乗ると、眼下の連々と続く険しい山岳地帯を見つめながら、僕はいつもファーティフ/Fとの約束を思い出していた。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました