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黒海の記憶#09/キンメリア人のクリミア

ウクライナ南端部、黒海に突起する半島。それがクリミア半島だ。半島は北のペレコプ地峡で本土と繋がっている。この地峡は幅が8kmしかない。 5000年前の地中海決壊大洪水に辛うじて生き残った陸である。なので当然山深い。クリミア半島自体がそもそも山深い。大洪水の災害に生き残った「山」だった地区なのだ。
半島東部のケルチ半島が伸びて、さらにようやく黒海と繋がっている内海/アゾフ海を作っている。そしてロマン・コシ山(1545m)がある。北は乾燥したステップ地帯だが南は切立った崖が続く平地がほとんどないところだ。
ここにキンメリア人がいた。
クリム半島の「クリム」はキンメリア人のことだ。

ウクライナで鉄錆のカタマリみたいな製粉工場と格闘していた時(35年ほど前)僕はクリミア半島のことばかりを考えていた。
理由は二つだ。
ここがポチョムキンの領地だったこと。そしてキンメリアにつながる古代ローマの遺跡があるからだった。

ポチョムキンと聞いて思い浮かぶのは、エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」だろう。グレゴリー・ポチョムキンはエカテリーナ王女の閨閤の臣だった男だ。臣としては最低だったがその性技は卓越しておりエカテリーナはそれをこよなく愛したという。
エテカリーナは望まれるままポチョムキンにクリミア半島を与えた。ところがある日。エカテリーナがそのクリミア半島を観たいと言い出した。ポチョムキンは焦った。彼は彼女の輿が通る道の横に、半島中にあった作物穀物をすべて引っこ抜いて植えた。そして豪勢な村を幾つもハリボテで作り上げた。豊かに色とりどりに育つそれにエカテリーナは至極満悦な表情だったという。・・・しかしそのためにクリミア半島の農作物はすべて枯れ、クリミアは深刻な飢餓のときを長い間過ごすことになった。これを「ポチョムキンの村потёмкинские деревни」という。

その地を見に行きたいと思った。
しかし製粉工場で「ポチョムキンの村に行きたい」と言っても、まったく誰にも通じなかった。「あのエイゼンシュタインの映画戦艦ポチョムキンのポチョムキンだよ」と言っても通じなかった。
「ケルソネソス・タウリケChersonēsos Taurikēの古代都市がぁ~」と言ったら、さらに通じなかった。半島南西部セヴァストポリにある「ウクライナのポンペイ」とも呼ばれる遺跡なのだが。まったく誰もそんなものがあるとは知らなかったのだ。・・結局は訪ねることなく終わってしまったところだ。
だから僕のクリミアへの思い入れは殊更強い。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました