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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#30/オランジュ#02

https://www.youtube.com/watch?v=nAKdDLs-9Sc

ホテルの玄関を出ると右側にNEGOというレストランが有った。ホテル左横にカフェが有った。ムシュJお薦めの雑菓屋さんはその先だった。すぐに分かった。空色の店内に入ると・・たしかに雑菓店だ。嫁さんは菓子類を少し買っていた。ワインも並んでいたが、買うものはなかった。前を見ると、その手前にお勧めのカフェもすぐに見つかった。
そのままムシュJがお勧めしてくれたカフェに入った。CAFE DEL'UNNVERS(6 Pl. Georges Clemenceau, 84100 Orange)という店だ。ムシュJが言うだけの秀逸なエスプレッソの店だった。近所の常連相手という感じで、いかにも観光客然とした傍若無人な人たちに冷淡・・というのが見える店だ。これはこれでいい。良い店には良い態度で顧客も接しないとね。
カフェオレを呑みながら「自由にやりたいように出来て、いいわね」と嫁さんが言った。私もそうしたい・・と云う言葉が奥に見えたような気がした。
「周りに色々見る店があるんだな。ポツンと一軒だけホテルがあるところを歩いてきたから、こう云う街のホテルは懐かしいな」
「そうね、色々見て歩けそね」
「この裏にノートルダム・ド・ナザレス大聖堂Cathédrale Notre-Dame-de-Nazareth(Rue Notre Dame, 84100 Orange)がある。周りを見ながら訪ねてみよう」
そのまま細い道を散策した。観光客向けというより地元の人の生活道路らしい。店舗も生活の中で利用するようなばかりを扱っていた。
「ノートルダムって。ホントに多いわね。マリアさまのための教会でしょ?」歩きながら嫁さんが言った。
「ん。ノートル-ダムNotreわれらの-Dame夫人だからな。マリアのことだ。此処のノートルダム・ド・ナザレス大聖堂にあるナザレスNazarethはマリアの生誕地だと云われてるところだ。ナザレはイスラエルにある淡水湖「ガリラヤ湖」の傍にある村だ。ナザレの方にも天使から受胎告知を受けたマリアの井戸/Mary’s Wellとかがある。それと西暦326年、コンスタンティヌス帝、マリアの家の址とされる場所に受胎告知教会Basilica Annuntiationis Beatae Mariae Virginisを326年に建立している」

https://www.amazon.de/-/en/Maria-Sybilla-

「行ったの?」
「行った。イエスに逢いに行った」
「逢えた?」
「逢えなかった。でもマリアが告知を受けたところは両方行ってきた」
「両方ッて・・・2回受けたの?
「マリアの井戸の話は正教徒の話だ。宗派が違うから二つある」
「マリアの井戸には、もうひとつの教会Greek Orthodox Church of the Annunciationがある」
「ややっこしいわね」
「元祖と本家は、鯛焼き屋やラーメン屋じゃなくても揉めるものさ」
それともう一つ有名なナザレス大聖堂Chapelle Notre-Dame-de-Nazareth(Route d'Assignan, D177, 34360 Saint-Chinian)がサン・シニアンSaint-Chinianにある」
「サン・シニアン?」
「ナルボンヌのすぐ北だ。ここはマリアが来ちゃった。840年だ。地元の羊飼いに挨拶しちゃった。・・南仏は色々なところへ色々な聖人がやってくる。最後の審判前にポコポコやってくるのは、キリスト教に混成した宗教の影響だろうな」
「マリア様も、最初から崇拝されていたわけじゃないンでしょ?」
「ん。キリスト教男尊女卑で父性中心の神構造だから、母マリアについては当初信者の一人という以上の扱いはしてなかった。・・それにハイライトを当てたのは、古来から地母神信仰を持っていたガリア人たちだ。彼らが自分たちの持っていた信仰対象・地母神を、マリアという形で取り入れたからだょ。

キリスト教団は柔軟だった。もともとベースがユダヤ教だろ。偶像崇拝は否定している。も関わらず、さっさと色々人形作っちゃうし、キリストの絵ぇ書いちゃうし、300年もしないうちに、まさに偶像崇拝そのものへ変化している。
マリアの神性をめいっぱい持ち上げたのも、ローマ製新興宗教から発達したからだ。信者獲得のために、悪く言ゃ受け狙いの変性をキリスト教は、その場その場で無数に繰り返したんだよ」
「信仰を守るために死んじゃったりしても?柔軟だったの?」
「ん。殉教の大半は自己愛の発露だからな。信仰の内容とは関係性はない。信仰は今まで背負っていた柵をそのまま担いで出来上がるもんだ・・おかげで300年余りで、聖書も、教会ごとに色々バリエーションが氾濫しちまった。色々な信仰者が言い出した『神はかく語れり≫がヤマのように生まれちまったんだ。
これを統一したのがニケア会議313年だ。主催したのはコンスタンティヌス帝だ。彼が各地にあった聖書を600あまり集めて、これは正伝、これは異伝、これは異端と整理したんだよ。そうして今の聖書に通いした。」
ウロウロしゃべりながらノートルダム・ド・ナザレス大聖堂に寄ったのち、大聖堂をぐるりと回るようにしながらホテルへ戻った。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました