ナポレオン三世の足跡を#03/ルーブルとナポレオン三世
モンソー公園を抜けて、クールセル通りを歩いた。 嫁さんがすぐに気がついた。
「あ。ここ歩いたことある。」
「ん。20年くらい前かな、二人で初めて泊まったホテルは、この先のROME駅の傍だ。楽器屋さんが多い。」
「懐かしいわね。もうそんなに経つのね。夕方になるとレストラン以外のお店は全部閉まっちゃって、お水も買いにいけなかった。」
「そうだな。パリはほんとに便利な町になった。英語も普通に通じるようになったし。」
「・・ということは、サンラザールの駅が近いの?」
「近くも無いが・・まあ、ちょい先だ。そこまでは行かない。VilliersでN16バスに乗ろう。ルーブルへ行きたいんだ。」
「おやまあ珍しい。しばらくぶりじゃない?」
「ナポレオン三世のアパルトメントに寄りたいんだ。ルーブルの中にある。」
「ふうん。でもその前にお腹すいたわ。」
「N16降りたすぐ傍にホテル・ドゥ・ルーヴルというのがある。そこのラウンジで食事しよう。ブラッセリー・ドゥ・ルーヴルという。」
N16バスはすぐに来た。平日だから乗車客は少ない。パリ音楽院の傍を通ってサンラザール駅の横を通る。そしてオペラ座のところからブルス駅に向かう道へ入り、ルーブル通りを直進する。到着までは30分程度か。
昼食をしたブラッセリー・ドゥ・ルーヴルLa Brasserie du Louvreが入っているホテル・ルーブルde l’Hotel du Louvreは、1855年にナポレオン3世の指令によって建てられたホテルだ。ナポレオン三世は皇帝になるとすぐさま新しいオペラハウスの建造と、そこにルーブルから向かう大通りを計画した。そのとき、訪巴する人々のために快適なホテルを建てるべきだと考えた。1855年はパリ博の年でもある。こうした一連のホテルをGrand Hotelsと呼んでいるが、ホテル・ルーブルはその一棟目である。当初は現在の場所の東側、Louvre des Antiquairesの丘の上に建てられている。
現在の場所へ移転したのは1887年以降である。
「第二次世界大戦時代。ドイツ軍のパリ管区司令部はホテル・ムーリスLe Meuriceだったんだが、ここはナチスお気に入りのホテルでね。ナチスは此処にSS44の本部を置いていた。」
「前に観た『パリは燃えているか?Paris brule-t-il?』に出ていたホテル?」
「あれはホテル・ムーリスのほう。ディートリヒ・フォン・コルティッツDietrich von Choltitzが居たのは向こうだ。彼はナチスではない。」
「ナチスとドイツ軍とはちがうの?」
「ナチスは、ナチス党によって組成されている親衛隊だ。ドイツ国防軍とは抜本的に違う。」
「ナチスというとハイル・ヒトラー!と右手を伸ばすでしよ。」
「うん、あれもナチス親衛隊はやるが、国防軍は普通の敬礼をする。ナチス式でするかどうかは本人の意思に任されていた。終戦間際に、ヒトラーの命令で、すべてナチス式に変えられたんだけどな。」
「ふうん。」と頷きながら、嫁さんはレストランの中を見回していた。
ナポレオン三世の大改革が実施される以前のパリは、2000年の時を重ねて、饐えた臭いが染み付いた老婆のようになっていた。狭い通路は汚濁に塗れ、建物も継足し継足しの歪つなものばかりが町を埋めていた。当時の旧い街は何れも同じようなものばかりだったが、中でもパリは相当酷かったのだろう。ルイ14世時代からフランス王は王宮を近郊ベルサイユに移してルーブル宮に近寄らなかった。ナポレオンも、戴冠式はベルサイユで行っている。ルーブルは官公庁としてのみ使用されていた。180年余り、王不在の王宮だったのだ。 還って来たのはナポレオン・ボナパルトの甥、シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトCharles Louis-Napoleon Bonaparteである。彼はナポレオン3世を自任した。
「ルーブルはナポレオン3世のウチだったんだ。彼は戦争に行ってないときゃ、必ず此処で暮していた。」
「美術館で暮していたの?」
「あ。うん、まあそういうことだな。ここを一般人へ美術館として開放したのは1793年からだ。国民公会の仕事だ。ナポレオン3世が此処で暮すようになったのは1850年頃からだ。となると、たしかに美術館の中で暮していた事になるな。彼自身もメキシコ遠征の時に色々略奪したり買ったりして来て、ここに納めている。
でもその手の奴は、彼が失脚した後1878年に設立されたトロカデロ民族誌博物館へ移管されているんだが・・どうもフランス第三共和政府を司った人たちは押並べてナポレオン3世がお嫌いでね。パリには彼を偲ばせる通りも建て物もない。あるのは此処の彼が暮していた部屋だけだなんだよ。」
「でもパリの町を大改造した人なんでしょう?」
「うん。そうなんだがな。きっとまあ・・彼の品性の低さが、皆さんお気に召さないのかもしれないな。」
「あなたも『貧相な小男』と言うじゃない。」
「ん。たしかに。ナポレオン3世は評価し難い男だよ。たしかに成果は残した。しかし人間としてはお粗末な奴なんで、運を失うと迷走どころかドツボにハマっていく。そんな人生を送った男だった。」
「ということは?」
「・・ということは・・そんな人生を送る人もいるってぇことさ。」
「ふん。回答から逃げたわね。」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました