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小説特殊慰安施設協会#35/オフリミットの嵐と潮目

10月に入ると、都内・都内近郊だけで40数か所あったR.A.A.慰安部の施設は、ほぼ毎日数か所がGHQ/PH&Wによって強制閉鎖されるようになってしまった。高松部長は慰安部社員を叱咤しながら、精力的にこれに対処した。
施設の消毒、娼妓(社員と呼んでいた)の全交代・再検査、再開承諾書の作成。すべてに高松は関与し、それを采配した。
「社員はドンドン採用しろ。選びたがるな。応募してきたものは全て雇え。素人が良い。病気もちじゃない女は、風呂に入れて小ざっぱりさせたら、すぐに店に出せ。」彼は、ことあるたびに連呼した。
しかし機を見るに敏な男である。一般将兵向けの新規店はピタリと出さなくなっていた。宮沢理事長との話で新規店はすべて高級将校向けの店にしたのだ。10月からは日本橋の料理屋「花屋」をかわきりに彼らは、老舗の料理屋・旅館を中心に買い漁るようになった。そして、それらを急ごしらえで高官向けのクラブに仕立て上げた。もちろんこうした高官向けの料理屋・旅館は、それほど忙しくならなかった。それでも宮沢と高松は、買える店舗は叩くだけ叩いて買い歩いたのである。

実は、銀行からの融資は8月末に実施された3000万円一回で止まっていたのだ。三回に分けて総額1億円という口約束していた9月末分が実行されなかった。その件で宮沢理事長は、銀行の担当者のもとを何度も訪ねているが、返答はノラリクラリしたもので全く要領を得ないものだった。どういうことだ。約束が違うぞ。どうなってるんだ。宮沢は銀行の態度に、何とも不気味な鈍痛と云うべきものを感じた。 それで、もうひとつ気乗りしなかったが、宮沢はその報告を大竹副理事にすることにした。 大竹が銀座の事務所に出ることは無いので、宮沢は鶴見の大竹の自宅へ訪ねた。

宮沢理事長が話をする間、大竹は大神宮の前で胡坐をかきながらコップ酒をグビグビと飲んでいた。そして宮沢の話が止まると大竹はニガ笑いした。
「ごり押しはしねぇほうが良いと思うぜ。理事長。ごり押しは金がかかる。無理にこれ以上の金は欲しがらないほうが、結局傷は浅い」そう言う大竹の目は据わっていた。融資が出なかったことを大竹は知っている。間違いなくその言葉は、大竹の後ろにいる者の言葉だ。
潮目が変わった。宮沢は直感した。
大竹広告は、この慰安協会設立直前に高乗課長の紹介で逢った人物である。
一番町に疎開していた築地警察の奥の部屋に呼び出され、慰安協会の話を詰めていたとき、3名の男が黙って入ってきた。その中の一人が大竹だった。
「三業地利権は、もともと軍の利権なんでな。大竹氏は旧軍閥にも強い人物だ。君たちの事業を恙無く進行させるには必須の人物だ、ぜひ彼を副理事として迎えるようにという指示が上から出ている」そのとき、高乗課長が言った。大竹は座ったまま小さく頭をさげた。その両隣の男たちは無言のままだった。
「上?」そのときは、あまり気にかけずに聞き流した言葉だが、その「上」とは、敗戦後も根深く残っている「日本国の根の部分に潜む何か」だと、宮沢はそう思うようになっていた。あのとき、大竹の両隣に居た二人の男は、間違いなく旧軍閥だ。
宮沢は不遜な態度でコップ酒を呷る大竹広告を見て、宮沢は「この男は蜥蜴だ。」そう思った。

事務所に戻る車の中で、今後の進むべき方向について宮沢は沈思した。そして事務所に戻ると、すぐさま高松に声をかけて事務所を出た。行き先は日本橋の料亭「花屋」である。つい最近、GHQの高級官僚を接待するために買い取った店舗である。接待がないときは、宮沢たちが利用していた。奥座敷があり、密談するには最良の店だったのだ。
席につくなり宮沢が銀行の態度と、大竹の態度について話すと、高松が顔を強張らせた。
「融資を受けた金は、もう半分も残ってませんよ。」高松が言った。
「ああ、判ってる。今後は垂れ流しな使い方は出来ん。」
「もう追加融資は出ないと見るべきですか。」と高松。
「ん。出ないな。主計局の池田勇人とかいう男に繋いでもらおうと大竹に頼んでみたが、一笑された。」
「・・そうですか。奴等は自分たちの見込み違いにすぐさま気が付きましたか。」

女衒集めのために、大竹と共に行動することが何回か有った高松慰安部長は、大竹の後ろに蠢くモノを敏感に感じ取っていた。たしかに特殊慰安施設協会は、近衛文麿の懸念を受けて、警視総監である坂信弥が旧知の仲である宮沢に依頼して興した事業である。しかし動き始めると幾つもの思惑が自動的に絡みついてきた。早急な組織の立ち上げのため、坂信弥は無言でそれを容認した。大竹の特殊慰安施設協会副理事長就任は、その絡み付いてきた思惑の一環である。

「そんなに慰安所のほうは酷いのか」宮沢が言った。
「酷いです。開店してもすぐさまオフリミットを食らいます。なんとか善処しても、またすぐさまオフリミットになります。彼らに気が付かれても当たり前な状況です。おそらくGHQも我々の設備について、近いうちに断罪すると私は踏んでます。」
「断罪・・全店営業禁止か」
「はい。近いうちに慰安部は閉めらざるを得なくなると考えます。」
「・・そうか。しかしキャバレー部だけの売り上げでは心もとないだろう。」
「はい。先は全く不明です。林部長は夢中になっていますが。」
「そうか。」
二人は沈黙した。
この夜の宮沢と高松の話は深夜にまで及んだ。 二人の出した結論は・・今後は可能な限り土地と建物を買う。商売はどうでもいい。土地と建物さえあれば、後から何でもできる。というものだった。この結論は、二人の間で閉まっておく・・と、そこまで話を取り決めた。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました