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パリ・マルシェ歩き#34/クリニャンクール02

地下鉄12番Jules Joffrinで降りると、目の前にあるのがÉglise Notre-Dame de Clignancourt(97 Rue du Mont-Cenis, 75018 Paris)である。すぐ傍に小振りなカルーセルRétro Manège de Lou(回転木馬)がある。すぐ傍にクレープとソフトクリームの露店がある。
「買うか?」と聞いたら無視された。
無視しながら「この教会って新しいの?」と聞いてきた。
「1858年が施工開始だ。出来上がったのは1863年だ。クリニャンクールがパリに併合されたのは1860年だろ?その直前に作られたんだ。建築家はポール・ウジェーヌ・ルクーPaul-Eugène Lequeuxだ。この教会は彼の代表作だよ」
「ふうん」
「エコール・デ・ボザールENSBAって話したろ?」
「しらない」
「国立高等美術学校École nationale supérieure des Beaux-Artsだよ。ルイ14世の肝いりで1648年に作られた学校だ。王立絵画の親分シャルル・ル・ブランや彫刻アカデミーの親分ルイ・ル・ヴォーたちが中心だった。フランス革命を生き延びてね、1793年に王立ではなく独立団体になった」
「王様無くなっちゃったからでしょ?」
「ナポレオンが『フランス人民の皇帝』と標榜するのは1804年だからな。その前にENSBAは別法人として自律してたんだ」
「なるほどね。で。そのENSBAがどうしたの?」
「教育というもののスタイルを確立した機関だ。所謂アカデミーと言われる組織は、その規範がエコール・デ・ボザールなんだよ。
卒業生にも秀でた人が輩出してる。ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルを始めにしてオーギュスト・ロダン、クロード・モネ、エドガー・ドガ、シャルル・ガルニエなどは全てENSBAの卒業生だ。とくに建築家は秀でた人が多い。ポール・ウジェーヌ・ルクー、エドゥアール・ヴィオレ・ル・デュク、 ルイ・スー など、所謂Beaux-Arts architectureを産み出した人々は、まさにENSBAの卒業生たちだった。欧米の芸術と教育に膨大な影響力を与えた機関だ」
「ふうん。でも、名前知ってるのはモネとかマネとかロダンとかだけね」
「ははは。でも猛烈な影響力を持って文化を動かしてきたところなんだよ」
「その卒業生が作ったわけね、この教会は」
「ん。企画したのはパリ市政だった。まだパリ市には併合されていなかったけどね。企画し推進したのはパリ市だった。第三共和制La Troisième République政府だよ」
「ということは、第三共和制政府はクリニャンクールをパリ市に併合させるつもりでいたわけね」
「そうだな」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました