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美食(ガストロノミーgastronomy)とレストランの成り立ち#02

1765年、パリ市内に「レストランrestaurant」というエスタミネ(食堂を兼ねた酒場のこと)が開店しました。店名の語源はレストゥールrestaurer「元気にさせる」という意味です。この店は大人気店になって、同様な店がパリに多数出るようになりました。これらの店のことをレストゥールと人々は呼びました。
しかしこうしたレストゥールは、決して美味を追求した店ではなかった。昔から有ったエスタミネを、ホンの少しお洒落に高級感あるものにしただけのものでした。
このレストゥールを抜本的に変えたのは、宮廷で働いていた料理人だったのです。

原因はフランス革命(1789年5月5日)です。
フランス革命は、王宮/貴族を急激に、そして徹底的に凋落させました。それは宮廷で働いていた料理人たちが職を失うことでもありました。また同時にアンシャン・レジームの崩壊によって、職人を支えていたギルド制度も崩壊し、気兼ねなく彼ら王室付き料理人が街場で飲食店を開けるようになったのです。
彼らは自分たちの店を「レストラン」と呼んだ。ここに近代で云う「レストラン」が萌芽したわけです。
当時の資料によると革命以前は100もなかったというパリ市内のレストゥールは、1803年には600軒以上になっていたとあります。

●ベル・エポック
ゲルマン人が始祖であるフランス人は、基本的に狩猟民族の裔です。彼らは野生の肉を力強くモリモリ食らうことを善しとしていました。立農文化が成り立っていたラテン人とは全く異質の人々です。つまりフランスは大食い(グルマン)の国だった。そこに、ラテン人の典型であるメディッチの血が混ざったわけです。
こうした新しい食に対する美意識を受け入れたのは、産業革命がもたらした新しいタイプのブルジョアたちでした。
代表されるのは、やはりブリア・サヴァランJean Anthelme Brillat-Savarin (1755-1826)でしょう。彼は法律家でした。「美味礼賛」の著者として後代に名を残しています。
彼は、同書の中で科学/物理学/医学の知識を総動員して料理を様々な側面から分析。料理が「学」として他の学問と比較して何ら劣るところがないと説明しています。
ガストロミーgastronomyという概念は彼を以って始祖とします。
ガストロノミーは、古代ギリシャ語の「ガストロス胃袋とノモス学問」を合わせた合成語で、ブリア・サヴァランは、これを『美味礼讃』の副題として「超絶的ガストロノミーの随想」いう風に使用しています。
しかしまあ、胃袋学とは即物的であまり美しくない。日本はこれに「美食」と云う言葉を充てています。美食学ですね。

ブリア・サヴァランの書いた一節にこんな言葉があります。
「君が食べているものを言ってごらん、君がどういう人であるかを言い当ててみよう」
ベルエポックという文化が、如何に人々にとって大きな意識革命だったか、象徴する言葉だと云えましよう。
こうした、産業革命によって台頭したプチ・ブルジョアたちのアイデンティティである"美食"ガストロミーは、時代ともに「美食の発見」だけではなく、芸術一般にスライドしていきました。舞踊/演劇/絵画/彫刻/文芸/建築/音楽への素養として発展を遂げ、現代に至ります。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました