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独立記念日を想いながら03/コットンベルト/コーンベルト

今のアメリカ合衆国の祖型は、間違いなく北米東海岸に作られた13の植民地です。今のアメリカの本質的な歪みを見つめるには、この13の植民地を見つめなければならない。「アメリカ的」を識るには、13の植民地の成立過程を、きちんと理解していないと不可能なのです。なので少しツラツラと書いてみたいと思いました。

アメリカ連邦政府が成立していく祖型は、13州東部と南部で同時に、そして独自に発展しました。東部はラム酒の生産をベースとして工業製品の生産です。南部は、まさに農本位そのものでした。最初に始められたのはタバコの栽培です。

バージニアから始まった。バージニアは、「バージン」という愛称で敬愛されていたエリザベス女王一世の名を頂いて、名付けられたものです。
しかしタバコ栽培は、あまりにも投機的なビジネスでした。値動きが激しく、安定しない商品だったのです。
ところが英国本土で、繊維業に産業革命が浸透し始めます。大量に安価に織物が作られるようになります。
その需要を狙って、バージニアのタバコ栽培は次々と綿栽培に替わっていきました。

こうやって南部経済を支えるようになる「コットン・ベルト」が誕生していくのです。現在の綿花の中心地はテキサス、カリフォルニア、ジョージア州ですが、当時はバージニアから始まってノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、ミシシッピ、アラバマ、ルイジアナという南部が中心でした。

コットンベルトは、南部に入植した人々に豊かな富をもたらしました。そして、そこから南部人のフランス貴族的な感性と、開拓者らしい熱い血潮が織り交ざった、彼ら特有の文化が育ちました。「風と共に去りぬ」のスカーレットの父の言葉「土地だ。土地が総てだ」は、まさにそこに根差した言葉です。
https://www.youtube.com/watch?v=NRemgA8TvKQ

独立戦争の勝利は、アメリカ13州の連邦の西側に広大な大地を残しました。西へ西へと広がる開拓は、インディアンの抵抗以外には何の障害もなく、急速に拡大しました。その地に設営されたプランテーションは、綿畑であり、新しい食材としてのコーンスターチを製造するためのトウモロコシ畑です。ミッシシッピー川の右側は、北に巨大なコーンベルトが誕生し、南に巨大なコットンベルトが確立します。こうしてアメリカの基礎が出来上がっていったのでした。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました