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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩5-2-4/ドン・ペリニオンから見えるもの・シャンパニュービジネスについて#02

https://www.youtube.com/watch?v=ty6IDYEpAfs

ドン・ピエール・ペリニオンが亡くなったのは1715年。彼は修道院長専用として確保されていた墓地の一区画に埋葬された。修道院の中は公開されていないので隣接している教会を訪ねた。祭壇に向かう道に黒いモニュメントが埋め込まれている。一つはドンペリニオンのものであり、もう一つはドン・ティエリー ルイナールのものだ。

「ルイナールも此処で亡くなったの?」嫁さんが言った。
「いや違う。ルイナールは研究のための旅行中に発病し亡くなった。52歳だ。1709年 9月 27日だ」
「ドン・ペリニオンより先に亡くなったの?」
「そうだ。ドン・ペリニオンは悲嘆にくれたに違いない」
「ドン・ペリニオンが亡くなったのは?
「1715年78歳だ。事故死だったとも言われている。」
「え~」
「ワインの発酵時に機械が爆発して亡くなったとも言われている。定かではない」
「当時、サンピエール・ドーヴィエ修道院のワインセラー責任者はドン・グルサールDom Groussardが仕切っていた。老いたドン・ペリニオンは神格化していたと思うよ。事故による死亡説は藪の中だ。
死後、彼を思い切り持ち上げたのが、このドン・グルサールDom Groussardだ。ドン・ペリニオンについての伝説言い伝えは大半が彼に広められた。
そしてカノン ジャン ゴディノCanon Jean Godinotだ」
「だれそれ?知らない人の名前が次から次に出てくるわ。
「ランスの人で1661年生まれだ。司祭だった。しかし泡入りワインに魅せられた人だった。ドン・ペリニオンによる泡入りワインの製法は、彼がドーヴィエ修道院で働いていた後継者と共にまとめ上げたものだ。1918年だよ。ドン・ベリニオン死後3年で形にして見せたんだ」
「すごいわね。ドン・ペリニオンって、素晴らしい後継者を何人も産み出したのね」
「ん。たしかにそうだ。彼が起こした指導書『Manière de cultiver la vigne et de faire le Vin en Champagne』がすべての切っ掛けになっていったんだ。
この指導書の中で、カノン ジャン ゴディノはシャンパン用の葡萄はピノ・ノワールが最良であるとしている。
ところで・・シャンパニューはワイン用葡萄の生産最北限だろ?そのうえワインの醸造するには冬が寒すぎた。発酵が秋になると寒さのために止まってしまうんだ。春までは休眠してしまう」
「そうね、だからその状態で瓶詰めすると再発酵したときのガスが瓶内にとじ込まれるわけね」
「ん。だから瓶の強度が弱いと破裂してしまう。積んだ棚で一つが破裂するとその振動で次々に破裂する。人身事故になったりしたわけだ」
「・・ドン・ベリニオン、ね」
「カノン ジャン ゴディノのまとめた指導書には使用する瓶の形状/重さ/蓋の仕方/栽培用の葡萄の木は1mくらいにすること。収穫時の注意/天候/葡萄液の抽出は圧搾機を使うことなどが書かれていたんだ。この指導書が出されたことで、シャンパンは急速に多数の業者が生産するようになれた。いつでもオープンソースが時代を動かすのさ」
「でも、ドン・ペリニオンのことは色々知られてるけど、後継者のドン・グルサールとか、指導書をまとめたカノン ジャン ゴディノのことは殆ど知られていないわね」
「まあ、致し方ないだろうな。実は、サンピエール・ドーヴィエ修道院でドン・ベリニオンがジックリと発泡性ワインの研究と開発をしている間に、シャンパニュー地方の発砲性ワインは英国でヒット商品になっていたんだ。
「えーでも、爆発するし危険だったんでしょ」
「ん。でもな、英国にはビールという発砲した酒を呑む文化があった。リンゴ酒などは微発砲が残ったものを飲んでいたんだ。だから、炭酸が溶けたアルコールを忌諱することがなかったんだよ。フランスのワイン生産者にとって、発砲したまま瓶内に閉じ込められたワインは失敗作だった。でもそれを呑んだ英国人は『これはすごい!』と思ったんだ『こいつはジンジャービールよりうまい!』ってね。
それにウカウカすると爆発しちまうからな。爆発しなかった瓶は希少性も高い。瓶内に閉じ込められた発砲ワインはまさにお宝もんだったわけさ。フランスのワイン生産者が叩き売ったワインが、むしろ高い値段で流通したんだ」
「びっくりね」
「いつのまにか、それをフランスの貴族。金持ちも真似し始めた。ほぼ100年ほどかけて発泡性ワインはマーケットとして確立するようになったんだよ。そこにカノン ジャン ゴディノの「ドン・ペリニオンによる発泡性ワインの作り方」である『Manière de cultiver la vigne et de faire le Vin en Champagne』教本が出たわけだ。ワインメーカーは、彼から得たタダの(本代だけの)ノウハウで発泡性ワインを量産するようになった・・というわけさ」
「見事に時代にマッチしたわけね」
「サンピエール・ドーヴィエ修道院もドン・ベリニオン、一躍有名になった。では・・ドンペリニオンとはだれか?!それを1721年にドン・グルサールが書類としてまとめた。いまあるドン・ペリニオンの伝説は、この時彼が膨らませた話がベースになってるんだ。曰く盲目だった。気泡するワインに星を見た。一口しただけでワイン畑を当てた。・・すべてドン・グルサールのナンチャッテ本から出た話だ」
「なんか夢のない話になってない?彼のお墓の前でする話じゃないと思わない?」



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました