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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩6-1-2/サロンのある村ル・メニル=シュル=オジェを訪ねる

「ウジェーヌ・エメ・サロンは毛皮商だった。資産家だった。彼がメニル・シュル・オジェ村に自分の畑を1ha分買ったのが1900年ごろで、最初はプライベート用として生産していた」
「自分用だったの?」
「違うね。知り合いの金持ち連中に振舞ったんだ。ワイン仲間で一番言われる悪口がこれさ。金に余してワイナリーを買って、それを知り合いに配り始める。で?どうだった?どうだった?と聞きまわる。こんな迷惑な話はない。ワインコレクションは友だちを増やすが、ワイナリーの経営は友だちを失う」
「サロンさんは失ったの?}
「いや大評判になった」
「あらま」
「それなんで1920年にメゾンとして販売するようになった。今は一回の生産で4万本程度作っている」
「1haの畑で?」
「いまは19の畑の葡萄を利用している。出来の良い時だけ出すというのを売りにしているから、いまのところ40回ほど販売している。だいたい2年に一回だ。作らなかった時の葡萄はシャンパーニュ・ドゥラモットが引き取っている」
「ああ、ミレジムなのね?」
「そういうことだ。シャンパーニュ・ドゥラモットり創始者フランソワ・ドゥラモットがル・メニル・シュール・オジェ村にメゾンを創立したのは1760年だ。
ドゥラモットのはヒロマークてね、クラマンからアヴィーズ、オジェ、メニル・シュール・オジェ辺りにある。
ドゥラモットのブランブランはサロンとに遜色はないよ」
「サロンは全部ブランブランなのよね?」
「ん。シャルドネから作ったシャンパンだ。ウジェーヌ・エメ・サロンはシャルドネに拘ったんだ。だからシャルドネの村ル・メニル=シュル=オジェLe Mesnil-sur-Oger、いわゆるコート・デ・ブランCôte des Blancsを選んだんだよ。そしてマロラクティック発酵はしない。それとドザージュは5g/Lしかつかわない。これがサロンの特徴を醸し出してる。」
「コート・デ・ブラン?」
「ヴァレ・ド・ラ・マルヌの東部南あたり。すごく土の部分が浅い地域なんだ。世界一密度の高い石灰質土と言われている。すぐに石灰岩の層にぶつかる。食べてみると・・ほんとにただのチョークだ」
「ああ、そうね。知らない畑へ行くと、必ず土食べるもんね」
「ワインを育てるのは土だからな。その地区のワインの本質は土にはっきり表れるんだ」
「はいはい。でも私に食べろとは言わないでね。毎回・・」
「葡萄は地味薄い地で力強く育ったものがいい。コート・デ・ブランは最適だ。それにシャブリを見るように石灰質の土地にはシャルドネがとても相性いい。コート・デ・ブランに植えられている葡萄は95%がシャルドネなんだ。
北はアヴィーズ、南はメニル・シュル・オジェの間にある。オジェOgerがこの辺りな。
古くから知られているアヴィーズAvizeは、オジェの北、クラマンとの間だ。ここはシャルドネ100%の地だ。
そのアヴィーズの北、シュイイとオワリーの間がクラマンCramant。もっと南にあるのがメニル・シュル・オジェLe Mesnil-sur-Ogeだ。Avize村がある。ここにはジャック・セロスJacques Selosseのメゾンがあるよ。RMの先駆者だ」
「知ってる。SELOSSE PAJONの叔父さんかなんかだった人でしょ」
「そうだ。いずれもブランブランも良いがピノとアッサンブラージュしたものも秀逸だ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました