星と風と海流の民#14/満潮のナンマドール04
滿汐はゆっくりとやって来た。マングローブを巻き込んだナンマドールの玄武岩の壁である。あるものは原形をとどめるほど大きく、あるものはマングローブに絡み付かれて分断されている。その刻まれた溝を、静かに滿汐が昇って行く。その速さは視認できるほどだった。見る間にナンマドールは海の中に沈んでいった。トシさんのフィッシングボートは、再度海に浮かんだ。
ポナペは海底火山が生んだ島だ。島中央にあるナハニキド山Mount Nahna Laudがその痕だ。その爆発が北西にもう一つの溶岩噴出口・ソケイ山Sokehs Mountainを作った。そして東側にトミウォール山Temwen Mountainを作った。今は活動を休止しているが、三つの山は厚い溶岩流が冷えて出来た火山岩で出来上がっている。
ナン・マドールを作った玄武岩はソケイ山から運ばれたという。その採石跡がソケイ山にあるとトシさんが言った。
「ポナペを作った火山は、溶岩の粘度が低かった。シリカ含有量が低い溶岩は、大理石のようにはならない。ウエハース状になるんだ。そしてそのウエハースの隙間にマングローブが入り込むんだ。聖都市ナンマドールがイソケレケルに滅ぼされたのは1600年代だ。じつは。この都市が捨て去られてまだ300年しか経っていないんだよ。植物はたった300年間で、この聖都市を廃墟にしたんだ」
トシさんのボートは、外壁Kariahnに沿って、ナカプ湾Nahkapwの砂州へ出た。砂州は満潮のため既に海中だった。
「満潮になると、ナンマドールは小さいな」僕がナンマドールを振り返りながら云うとトシさんが頷いた。
「ナンマドールを滅ぼしたイソケレケルは雷神ナンサプエの子だと云われている」
「雷神?」
「ん。ナンサプエはサウデール王の妻と姦通した。王は怒り彼を投獄した。ナンサプエは脱獄すると北の島へ逃げた。そして妻を娶り、生まれたのがイソケレケルだ」
僕は黙ってトシさんの話を聞いた。ナンマドールを滅ぼしたイソケレケルの話は知らなかった。
「成人したイソケレケルは雷神ナンサプエが逃れた島から333人の兵士を引き連れてナンマドールを襲った。1600年代初めのことだ。そして激戦の末、サウデール王朝は滅びた。王は魚になって海に逃れたという。・・俺はさっきの長耳族の話を聞いて、これを連想したんだよ。東の海から来た王は東の海へ還った」
「なるほどな。トシさんが、すぐにそれはない、と言わなかった理由がわかったよ」
「ん。海は不思議に満ちている。イソケレケルはポナペを手に入れると、島を五つの首長の管理下に分けた。ソケ、キティ、マドレニム、ウ、ネットの五つだ。これはナンムワルキと呼ばれた。いまでもその形は自治体として残っているよ。イソケレケルはそのままナンマドールに棲んだ。魔術師でもあったサウデール王の魂が悪霊にさせないためだ。そしてイソケレケルも雷神ナンサプエの子として神事を司ったんだ」
「神が入れ替わったわけだな」
「ああ、しかし方法は変わらなかった。サウデール王と同じようにイソケレケルはシャカオsakauをを多用した。その残骸が大量に残っている」
「シャカオ?」
「カバコショウPiper methysticumだ。幻覚作用がある」
カバコショウPiper methysticumは南太平洋サンタクルーズ諸島、バヌアツが原産地のモクレン類である。呪術師たちはカバコショウの根茎や根を細かく砕いて煎じる。これが陶酔感をもたらす。
「ポナペではシャカオというのか?ポリネシアではカヴァkavaだな」
「ん。苦いというトンガ語だ。フィジーではヤンゴーナyangonaと呼ばれている。村の呑み屋に行けば今でもでる」
ナカウ海峡keoidauen Nahkapwを出て外洋に入ると、ナンマドールはまったく見えなくなった。