見出し画像

ボルドーれきし ものがたり/1-8 "ケルト"

アルプスより北、森深い欧州大陸に住む人々を、ギリシャ人はケルトイKeltoiと呼びました。ラテン人/イタリック人(ローマ)はケルタエCeltae/ガリGalliと呼んだ。
つまり単一民族を指す言葉ではなく、遥か彼方の森に住む異民族たちを指して一緒くたに「ケルト人」あるいは「ガリア人」と呼んだのでした。 それでも、このギリシャ人/ローマ人が"ケルト人/ガリア人"と呼んだ人々には、ひとつの統一した特徴がありました。それは言葉です。彼らの言葉は印欧語の形式を持っていた。もちろん民族ごとに互いに意思疎通不可能なほど変形はしていましたが、それでも祖形は印欧語でした。

印欧語を駆使する人々の出自は、黒海の東側アナトリア地方です。 この地方は、8000年ほど前に灌漑技術が確立した地帯であり、牧畜が定着した地域でもあります。その彼らが確立した技術は1000年レベルで周辺地区へ伝搬していきますが、同時にその言語/印欧語も伝播しています。
・・技術の伝搬は言語の伝搬だったこと。これは極めて重要なキーワードです。つまり、それを駆使した人々そのものが各地へ拡散したと云うことです。

彼らが進出した地域には、先住民(新石器人の末裔)は既に居た。・・別の言葉を使っていた。アナトリアから拡散した「印欧語の人々」は、これを席巻し、先住民を取り込み、彼らの集約化した技術(農耕/牧畜)を各地で展開したのです。 ここに「組織というヒエラルキー」が確立した。支配者→管理者→被支配者(先住民)というピラミッドです。「印欧語の人々」によって"先史時代"は"古代"へと変遷したと言っても過言ではないでしょう。

さて。この「印欧語を話す/革新的な農耕牧畜文化を持つ」人々の拡散ですが、大雑把に見ると4つのベクトルを持っていた。
①インド亜大陸への進出(インダス文明)②ヒッタイト、チグリスリス・ユーフラテスへの進出(メソポタミア文明など)③イタリア半島への進出(ローマ帝国)④北西ヨーロッパへの進出です。
この④へ進んだ人々を、ギリシャ/ローマ人は、ケルト/ガリア人と呼んだのです。 この④へ進んだ人々は、農耕より牧畜を得意とし他の地域へ進んだ人々より攻撃的でした。かれらは石器ではなく金属による武器を駆使した。つまり採鉱する人々でした。

使用した金属は、銅です。これに錫を合金することで青銅にした。 青銅は、石器と違って複雑な加工が可能です。そして石よりも遥かに硬く軽い。武器としても農具としても極めて優秀な素材でした。
ケルト人/ガリア人は、これを駆使して西ヨーロッパへ拡散したのですが、結局のところ「大国化」しなかった。これは、やはり注目すべきでしょう。
他三地区へ拡散した印欧語族と違って、ケルト人/ガリア人の集団は部族単位/大きくなっても小国程度で終始した。これは彼らの部族拡大手段が"互恵的善循環"ではなく"侵略的略奪文化"が根底に有った為であると僕は考えます。そのために群雄割拠し、面従腹背が横行し、一時的な統一戦線が成立しても、決して恒久化はしなかった。したがって、常に相食み侵略し合わなければ自滅してしまう構造から、最後まで出られなかったのではないか。そう思います。

画像1


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました