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小説特殊慰安施設協会#25/銀座ライオンビアホール開店

MP二人とワッツ中尉は、グラス一杯で帰って行った。林穣は三人を店の入り口まで送った。三人は次々に林穣をハグした。
『あんたは、みんなのヒーローだぜ。』ワッツが言った。林穣は微笑みながら頷いた。
兵士たちがジープに乗って去るのを見届けると、林穣はそのまま隣のR.A.A.事務所に入った。そして事務所に残っていた社員を引き連れて戻ってきた。全員が歓声をあげた。
 ダンサーたちが彼らに、笑顔でビールを渡した。
「ビールなんてもう二度と飲めないと思ってたよ。」グラスを渡された社員の一人が言った。
「まだ料理も残ってますから」ダンサーが笑いながら言った。
その夜は遅くまで、宴会が続いた。しかし、その宴の中に宮沢理事長も高松慰安部長の姿はなかった。この林穣の独走が、宮澤たちとの間に硬いしこりを残すことになるのだが、そのときは誰も思いつかなかった。
 林穣は、30分ほどスタッフと飲み交わしてから席を立った。
「申しわけないんですが、先に帰らせていただきます。」
全員が話を止めて林穣を見た。
「葛木課長。」林穣が言った。
「はい!」ホールの奥から、大きな声が返ってきた。
「売れ残ったビールと食材は、今後、希望する社員に原価で譲ってください。私たちには、そのくらいのご褒美が有っても良いでしょう。」林穣は笑いながら言った。
「はい!了解しました。」葛木が元気よく返事をした。
ホールに歓声が上がった。林穣は笑いながら「それでは」と言ってホールを出た。そのあとを追って全員がゾロゾロと外へ出て見送った。スタッフの一人が「明日も頑張ります!」と大きな声で言うと、林穣は振り返って手を振った。全員が拍手をした。その中に千鶴子とゲンがいた。そしてその横に太田がいた。
「・・・林部長。皆を味方につけて、まだまだ敗戦の悪魔と戦うつもりだ。俺もやるぜ。」
拍手が終わると三々五々、ホールに戻るスタッフだったが、千鶴子とゲンと太田だけは、杖を突きながら歩く林穣の後ろ姿を見つめ続けた。
「焼け野原に仕事を生み出すR.A.A.・・事務所の入り口に大書して掲げたいくらいだ」太田がボソリと言った。

深夜近くまで続いた宴会だったが、最後まで残って後片付けをしたのは、ホールのボーイたちだった。ダンサーも慰安部の社員も手伝ってくれようとしたが、固辞して片づけはボーイたちが手分けしてやった。
そして帰路。晴海通りを歩く千鶴子とゲンは、焼け野原となった銀座の空に浮かぶ朧月を見つめながら歩いた。
「林部長って、あの月みたいだ。」ゲンがぼそりと言った。「雲に阻まれて朧でも、精一杯頑張って焼け野原になった銀座を照らしている。」
 智恵子は何も言わなかった。しかしそっとゲンの手を握った。ゲンがちよっとだけ大人になったような気がして嬉しかった。

二人は黙ったままになった。そして銀座通りを三越の前で右折して、焼け落ちた歌舞伎座の先を築地川沿いに左折した。三好橋まで来たとき、小見世の家の玄関が煌々と明るいのに気が付いた
「あれ?こんな時間なのに、オフクロ、起きてんのかよ。」
そう言いながらゲンが玄関を開けた。「オフクロぉ」ゲンが言った。
小美世は、大神宮様に一心不乱に手を合わせていた。ゲンの声に飛び上がるように立ち上がった。
「あんたたち!生きてたんだね!」小美世が悲鳴のように言った。
「生きてたもなンも、仕事行ってたんだろ。戦争行ってたわけじゃねぇよ。」
「良かったぁ。」小美世はヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。
「いくらなんでも、こんなに遅くなったことはないから、なんか酷いことに巻き込まれたんじゃないかと、あたしゃ気が気じゃなかったんだよ。」
 千鶴子とゲンは顔を見合わせた。
「ご心配かけて申し訳ありません。」千鶴子が深々と頭を下げた。
「そんでもって大神宮様にお灯明かよ。お灯明は死んでからあげてもらいたいもンだ。」
「なに言ってんだい。あたしゃ心配で心配で、もうこれ以上帰ってこないようだったら、五人組の皆さんにお願いして、探しに行こうと思ってたとこだよ。」
「五人組だって・・戦争負けて五人組もなンもあるもんかい。それより土産の折だよ。オフクロに食わせたくて持ってきたんだ。」
 居間に上がるとゲンが折箱を卓袱台の上に置いた。「肉とハムだ。ビヤホールでアメリカ兵に出してるやつのお余りだ。」
「まったく・・戦争終わって、やれ安心ってとこで、あんたたち二人をまとめて亡くしたら、あたしゃ此れから何を生きがいにしてかなきゃならないのかって、ほんとにヤキモキしてたんだよ。もう明日から、あたしがあんたたちを迎えに行こうかねぇ。」
「冗談じゃねぇや。小学生じゃあるまいし。第一、それでオフクロが強盗に有ったら、とんだミイラ取りだぜ。」

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました