サルラ・カネダ04/サンテミリオン村歩き#41
https://www.youtube.com/watch?v=lIauIawIPAg
僕らはレビュリック通りを北へ向かって歩いた。通りは生活のための店舗と、典型的な観光客のための店舗が混然と並んでいた。少し行くとCOUTELLERIE LE SARLADAIS(18 Rue de la République, 24200 Sarlat-la-Canéda)という刃物を扱う店が有った。ラギオールが整然と並んでいる。隣が日用の衣料品だった。
僕らは観光センターで教えてもらったAscenseur Panoramique(Rue des Consuls, 24200 Sarlat-la-Canéda)に行くつもりだった。サント・マリー教会の裏側にあって、鐘楼の中に屋上へのエレベータが有るという。入り口で観光センターで買ったチケットを見せると乘れた。
「屋根が無いのね。エレベータというよりリフトという感じ」嫁さんが言った。
鐘楼は35mとのこと、屋上に昇ると町が一望できた。
「旧市街はレビュリック通りを挟んで、西側が庶民の地区、東側が富裕層に今でも分かれているそうだ。もう少し北へ行くとブルジョアたちの邸宅が並んでいるコンシュル通りがある」
「サンテミリオンが坂に沿って南北に貧富が別れていたけど、サルラは東西だったのね」
「ん。サン・サセルドス大聖堂周辺がブルジョアたちの地区だ。その外周に使用人たちが暮らしていた。司教座となることで、サルラは信仰と富の集約地になったのさ。
百年戦争のとき、サルラがフランス側の兵站基地として大活躍できたのは、この町に拠点を置くブルジョアたちの資本力のおかげだ・・たしかに1360年に交わされたブレティニー条約で、サルラは英国のものになったが、戦火には晒されなかった。再度フランス王のものに還ったの百年後だ。」
「びっくりね」
「百年戦争が終わった後、宗教戦争が始まる。サルラがプロテスタントの手に墜ちるのは1574 年。宗教戦争は、アンリ4世が1593年にカトリックに改宗することで終結するんだが、続いてルイ14世への反乱が起きて、サルラはコンデ軍に占領されてしまうんだ。このときに無数の住民が死んでいる」
「波乱万丈だったのね」
「ん。実は・・この頃からサルラは経済集約地として機能しなくなっていた」
「あら」
「司教座というステータスが時代遅れになってしまってたんだ。遥かに交通の便がいいペリゴールへ産業は移っていた。町は緩慢に凋落していったんだよ」
「ふうん、そうなんだ」
「しかしそれが却って良かった。サルラはフランス革命の暴力に晒されなかったんだよ。その頃既にドルドーニュの経済圏は自他ともペリゴールに移っていたからな、サルラは革命軍の傍若無人な襲撃は受けなかった。おかげで1300~1400年代に建築されたプラモン邸、シャサン邸、タピノワ・ド・ベトゥ邸そして沢山の家臣邸宅などが今でも残っているんだ。有難いことだ。まさに災い転じて福となるの典型だな。運命の悪戯だ」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました