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黒海の記憶#13/商いの道・東海岸

現グルジアの中央部を東西に走るリオニ川を使ってコーカサスの奥深くから様々な黒海海岸へ運ばれ、これらはリオニ川河口の街ファシス(現ポティPoti)に持ち込まれた。ファシスはミレトスの植民都市だった。紀元前7世紀の終わりごろにテミスタゴラスThemistagorasが率いるミレトスの入植者が交易を目的として作った町だ。現在でもグルジア国内で産出するマンガン/トウモロコシ/材木/ワインなどは、同地へ運ばれて輸出されている。いまでも同地は、グルジア有数の貿易都市である。
ギリシャ人たちの時代でも、その取扱品目は、鉱物であり麻であり木材だった。そして特筆すべきは、遙か彼方のインドなどからも様々なものが交易用に持ち込まれる所でもあったことだ。ミレトスの商人たちは、これらを自分たちの沿岸航行用の船に乗せ換えてシノベへ運んだ。そして此処でエーゲ海まで航行できる大型船に乗せ換えられたボスボラス海峡を越えたのである。

・・さて。ファシスといえば、アルゴナウタイArgonautaiである。黄金の羊の毛皮を求めて航海に出たイアーソーンの冒険譚だ。彼の船「アルゴ号」は、此処からリオニ川を遡りコルチス(現クタイシKutaisi)を目指している。
コルチスは、リオニ川中流あたりにあるコルキス王国の首都だ。地理的には大カフカス山脈山麓部からコルヒダ低地に出る地点にあり、リオニ川へ荷物を乗せ換える貿易の中継点として古くから栄えた。コルキス人は金属の製錬と鋳造技術に長けた人々だった。コルキス王国は、これらの技術的先進性によって成立した王国である。ちなみに現在でも、工業地としてクタイシはグルジアでも有数な産業地である。
ミトレスの商人たちは、こうした、ものを精力的に贖い、エーゲ海へ運んだのである。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました