パリ・マルシェ歩き#04/マルシェ・ダリグレ
https://www.youtube.com/watch?v=GXceSz-gPk8
パリは一週間を通して約70近いマルシェが開かれているという。すべて、地域密着型で住民の生活を担っているところばかりだ。市内を歩いていると生鮮野菜店/八百屋、鮮魚取扱店/魚屋が少ない。パリの人々はこれらをマルシェで求めるから専業の独立店舗が少ないのかもしれない。野菜や魚類はマルシェで買うというのがパリの人々の方法なんだろうね。生鮮食品以外でも、パリから遠く離れた地域の特産品、あるいは外国の食品/食材が多い。これらは定例的に定まったマーケットに出ているから、安定したニーズを持っているのだろう。
多国籍型マルシェの筆頭は相変わらずマルシェ・ダリグレMarché d'Aligre (Place d'Aligre 75012 25-11 Rue d'Aligre,75012 Paris)
12区のPl. d'Aligreアリグレ広場にある。地下鉄は8番リュド・ロラン駅Ledru-Rollinが近い。ヴォーボー屋内市場Le marché couvert Beauvauを中心にアリグル通りにRue d'Aligre露店が並ぶ。週末はとても賑わっている。屋外マルシェには食材以外にも中古レコードや古道具を売る店、靴下やTシャツ類を売る店も出る。専業のベンダーというよりはアマチュアに近い人たちが多い。食品食材は、フランス以外のものだとイタリア系が多い印象だが、ほかにも北アフリカ系/中東系/インド・アジア系の食材食品を多く見かける。面白いのは他では見かけない珍しい地域で作られたスパイスやチーズそして地方のマイナーななかなか出会うことのないワインなどがある。
マルシェ・ダリグレの露天商は、バラエティに富んだ質の高い品揃えが特徴だ。
ヴォーボー屋内市場は、農産物/肉屋/魚屋/各種専門店が出店している。端から常設店で見て歩くと・・
"Fleuriste Beauvau"華やかに生花店
"Le Petit Marché de Paris"ジャム、蜂蜜、チョコレートなど
"La Cave du Marché"ワインを扱うがリキュール類も珍しいものが多い。
"Épicerie Fine"世界各地のスパイスと共にオイル/ビネガーを扱う。
"Bio Market"その名の通り有機野菜の専門店。
"Pâtisserie La Rose de Tunis"北アフリカの菓子類などが並ぶ。
"Boulangerie Maison Gosselin" 焼きたてのパン/クロワッサン/ペストリーが並んでいる。
"La Ferme Saint Hubert"近在の農家で生産されたバター/ヨーグルトなどの乳製を扱っている。
"Fromagerie Sanders"チーズ専門店でフランス国内だけではなく近隣諸国で作られたものを扱っている。
"Poissonnerie du Marché"鮮魚店だが、なかなかパリでは出会えないような珍しい種類まで扱っている。アジア料理の料理人の御用達だ。
"Boucherie Normande"その名の通りノルマンディーの肉加工品シャルキュトリーとソーセージの専門店。わざわざ此処を訪ねるだけのためにヴォーボー屋内市場を出かけてもいいかもしれない。
"Les Viandes du Beauvau"食肉を取り扱うが高級品が多い。肉の品質はパリ随一かもしれない・
露店は大体昼頃には閉店する。ヴォーボー屋内市場は16時くらいまで。
露店の店を見た後、屋内市場にある幾つかカフェで昼食するのが我が家の定番だ。このときも、わりとよく使っている店に入った。エスプレッソを頼んだ。
「ここも古いマルシェなの?」嫁さんが周囲を見回しながら言った。
「1779年に作られた」
「250年前!?」
「ん。では、ついでに聞くけど、フランス革命は?」
「1789年」
「そう。この市場が作られた1779年は、まさに旧体制時代末期だった。度重なる戦争でフランスは疲弊していた。それとアンシャンレジームと呼ばれる体制だ。社会は、民に貴族と僧侶がのしかかる時代だった。そのうえ7年戦争によって、国はボロボロになるほど痛めつけられていた。まさに断末魔のところにフランスはいたんだよ」
「そんなときに作られたマルシェだったの?」
「戦いに疲弊して、王も民も厭戦気分だった。フランス国王は、起死回生を目指すべく国家再生を目指していた。公共事業に力を入れていた。Marché Beauvauはその一例として企画されたものだったんだよ。
当時はまだサンマルタン運河はなかった。1809年だ。すぐ東にベルシーがある。ベルシーはパリに一番近い葡萄畑/ワイナリー地帯だった。その周辺に幾つも貴族が持つ領地/邸宅があった。プティ・シャトーPetit Châteauだ。云ってみれば大名屋敷みたいなものな。その一つがボーヴォー家Maison de Beauvauのものだったんだ。
ボーヴォー家はベルシー北西に屋敷を持っていた。その一部にサントワーヌ修道院Abbaye Saint-Antoine-des-Champsがあった。その修道院の敷地の一部をマルシェとして整備し、開放したのがシャルル・ジュスト・ド・ボーヴォーCharles Just de Beauvauだ。アカデミー・フランセーズのメンバーで、ルイ15世およびルイ16世に仕えた人物だった。じつは彼自身も七年戦争に参戦してる。平和のために何が必要なのか考えていた人だ」
「その人の名前を付けてマルシェ・ボーヴォーになったわけね」
「ん。当初は修道院の広場を使った露店方式だった。屋根を持つようになったのは1843年だ。その資金供与をしたのもボーヴォー男爵だった。
このとき、ボーヴォー男爵の指定で、マルク=ガブリエル・ジョリヴェMarc-Gabriel Jolivetに設計と建設が依頼された。彼は極めて先鋭的な人だった。オスマン男爵のパリ改造計画にも参与している。
マルク・ジョリヴェはヴォーボー屋内市場を、鉄とガラスを大胆に使用したオスマン式建築スタイルに作り上げたんだ」
「いまもそうなの?そんな風には見えないけど」
「2005年に焼失した。今の建物は最近作られたものだ」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました