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城壁跡ポルトブルネ/サンテミリオン村歩き#17

https://www.youtube.com/watch?v=w8S7-HADGUs

Logis des Cordeliersでランチが終わってからポルトブルネ通りへ出た。雨は止まっていなかった。人通りはない。
「この先のブルネ門へ寄りたい」僕が言うと
「近いの?」と嫁さんが言った。
「100mくらい先だ」
ポルトブルネ通りを東の村はずれに向かうと、五差路の手前にブルネ門Porte brunet porte médiévale 1200(Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion)はあった。
「あら、ここはBed & Breakfast-Les Belles Perdrix(Château Troplong-Mondot, 33330 Saint-Émilion)へ泊った時に通ったわね。あなたが村まで散歩しようと言った時」
「ん。Château Pavie-Macquin(1 Peygenestau, 33330 Saint-Émilion)へ寄った帰りだ。畑を抜けてラセール通りまで歩いた。このブルネ門が村の外と中を分けていたんだ」
「城壁に取り付けられていた門でしょ?」
「そうだ。サンテミリオンには6つの門があった。このブルネ門が一番保存状態が良い。今でも城壁の面影が残っている」
僕らは門の下で雨宿りをしながら写真を撮った。
「作られたのは1100年でしょ?900年も前なのにこんなに良い状態で遺ってるのね。びっくりだわ」
「城壁が必要だった時代は長く続いた。アンジュー帝国が滅んでもカトリックとプロテスタントの抗争は続いたしな。決して平和な良い時代にはならなかった」
「そして庶民の下町と富裕層の山の手を分けるゲートが有ったわけね」
「ん。しかし村全体を焼き尽くすような襲撃は無くなっていくからな、次第に城壁は役目を終えて、少しずつ村の人々に解体され持ち出されていったんだろう。いまはほとんど残っていない。それでも、村の北のはずれヴェルダン通りの向うにLES GRANDES MURAILLEというのがあるんだけど、あそこはドミニコ会修道院が外壁に沿って有ったんだ。修道院は破壊されたけどな、さすがに修道院跡ということで、誰も石壁は持ってかなかったのかもしれない」
「サンテミリオンは信心深い人たちが多かったのね」
「ん。聖エミリオを慕って大きくなった村だったからな」
「村を興したのは、ローマ軍退役軍人よね?」
「ん。アウグスティヌスのころだ。遺跡調査でBC27年に最初の植民地が作られことが判ってる。このサンテミリオンに最初から有ったらしい」
「葡萄を植えるためでしょ?」
「ん。泥の町ボルドーでは葡萄畑は作れなかったからな。彼らは周辺地に幾つも葡萄畑を開拓した。開発の中心はドルドーニュ川に面した丘。そしてジロンド川の奥まった高地だ。ここで生産されたワインはドルドーニュ川を介してボルドーに持ち込まれ、ガリア人たちに売られていた」
「2000年前よね」
「そうだ。その頃にはもう、ボルドーは新興の国際交易都市として確立してんだ」
「すごいわね」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました