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小説特殊慰安施設協会#05/1-2 銀座一ノ七

二人は談笑しながら、うなめ橋からみゆき通りへ曲がって松坂屋の横から中央通りに入った。松坂屋は直撃弾を受けていなかった。他のビルと同じように、窓カラスは全て吹き飛んでいたが建物に大きな損傷がなかった。しかし五丁目側は全て燃え崩れて焼け野原になっていた。
「事務所は大日本ビールの隣なの」千鶴子は言った。
「中華屋の幸楽かい?」
「ええ、そこを借りているみたい。」
ゲンは交詢社通りの所まで来ると立ち止まった。
「じゃ俺、帰る」
「ありがとう。ゲンちゃん。」
「だいじょうぶだよ。まだ俺、仕事ないし。」そういうと片手を上げて、そのまま引き返した。千鶴子はそのゲンの後ろ姿を少しの間、見つめていた。
 それから襟の袷を少し直してから事務所に入った。
「おはようございます。」
喧騒な事務所が、千鶴子が玄関に立つて声をかけると、まるで水を打ったように玄関から奥にかけて静かになった。
「お・おはよう」
昨日、最初に対応をしてくれた若い男が、マジマジと千鶴子を見ながら言った。

事務所内の全員が仕事の手を止めて、端正に佇む着物姿の千鶴子を見つめていた。
「・・・ほんとに戦争、終わったんだな。」
千鶴子を面接した堀田がぼそりと言った。
「こっち入って。・・萬田さんったっけ。君は林部長の下で働くことになったから、二階だよ。二階の林さんの机の前だ。」
 堀田が階段を指さした。千恵子は一礼してから二階に上がった。

二階は曲がりなりにも事務机が並んでいた。
「萬田さん?」階段の傍の事務机に座っていた男が言った。
「俺、キャバレー部の山崎。」
 山崎は、林穣が飲料組合の事務局から連れてきた男だった。丸いメガネをかけた、ヒョロリと背の高い男だった。しかしその言葉の端に意志の強さが見えていた。
「林部長の机は奥。君の机は林部長の前。」
指さした机の上は、昨日千鶴子が使ったオリベッティのタイプライターが乗っていた。そしてその横には大量の書類が山積みになっていた。

「林部長さん?」千鶴子が言った。

「ああ、昨日君と英語で話していた林部長だよ。キャバレー部の責任者だ。ま、あんな感じで英語が堪能だからな、ほかの仕事も色々とされてる。君は林部長の直属の部下として働いてもらうことになった。」
「はい・・」
「頼むぜ。初日からなんだけど、林部長が山のように仕事を置いてったからな。出来そうなとこから片づけてくれ。」
「はい。・・林部長は?お出かけですか?」
「ああ、大森海岸へ行ってる。28日に大森海岸の米兵の収容所へ進駐軍が入ったからな。その流れで昨日から大森の方は大忙しだ。」
「大森海岸?」
「ああ、大森海岸にウチの慰安部の施設があるんだ。米兵のための慰安所だよ。慰安部は営業所と呼んでるけどな。要するに慰安所だ。これが一昨日から開業を始めたんだんだけど、昨日からもう客が入ってるんだ。でも向こうに入ってる連中は全員ロクに英語なんて話せない連中ばかりだから、慰安部の高松部長が林部長に急遽お出ましを願ったんだよ。はてさてどうなってることやら。」山崎が含み笑いをした。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました