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ボルドーれきし ものがたり/3-7 "ゲルマンの台頭"

カエサルのガリア北征の背景は、大きく二つある。
ひとつは、カエサルと彼を囲む人々の野心である。
そしてもうひとつは、東方ゲルマン人の台頭だ。 
ローマは、ゲルマン人との境界線をドナウ川/ライン川としていた。そしてアルプスから北のガリアの地を、そのための緩衝地帯としていた。つまりアルプス→ドナウ川/ライン川→ゲルマン人の地、という棲み分けである。
しかしこれが、B.C.113から101年にかけて、ドナウ川周辺のガリア人の地が、ゲルマン人(キンブリ族/テウトニ族)から猛烈な攻撃を受けたことで、ローマはこの境界線について強い不安を持った。
ユリウス・カエサルのガリア北征を、ローマが強く支持した理由の一つは之だ。
タキトゥスが残した著「ゲルマニア」を手にすると、ローマが東方の「見知らぬ荒らぶる民」について、如何ほど脅威に感じたかが判る。なので少し之を横に置きながら話を進めたい。

ドナウ川付近でケルト人を襲撃したキンブリ族は、遥か北のホルシュタイン・シュレスヴイツヒ・ユットラントから来たゲルマン人だった。彼らの戦い方は徹底的な殲滅戦で、キンブリ族は獰猛に(交易によってローマ化していた)ガリア人と、ガリア・ロマーナ(ローマ人との混血)へ襲いかかり殺戮と強奪を行った。この戦いはキンブリ族の連戦連勝に終始しため、これに呼応してバルト海沿岸にいたテウトニ族も南下、ライン川周辺を蹂躙し始めた。この二族によって同地のガリア人は存続の危機に陥った。

同地は、B.C.500年頃からローマとの交易が始まっていた。そのため、ガリア人のローマ化が広く浸透していた地域であり、ガリア・ロマーナも相当数いた。錫⇔ワインの道として、ローマにもガリアにも重要な地点になっていたのだ。この交易ポイントをゲルマン人が襲撃したのである。
地元のガリア人は再三、ローマへ助けを求めたが、到着したローマ/ガリア混成軍とゲルマン人の戦いはいつでも局所的で、抜本的な解決になるほどの大戦にならないものに終始した。なのでローマ軍が去ると、ほどなくゲルマン人の襲撃も再開するを繰り返していた。
当時の戦争は、互いに意識した国境が有り、それを挟んで対峙するという現代的なものではなかった。たしかにローマ側には、"ライン川を国境"という意識は有ったが、ゲルマン側には全くない。ゲルマン諸族には"国家"という意識もなく、諸族は利害が一致するときだけ集まり、そうでないときはバラバラで、あたかもゲリラのごとく南下し殺戮略奪を繰り返していたのだ。つまりゲルマン諸族にとって襲撃は、あくまでも"その地を我がものする"ことが目的ではなく、"狩猟"だったのである。
したがってローマが考えるような「勝ち負け」降伏は成立しなかった。ローマが勝ったとしても、ローマ軍が去れば再度ゲルマン人は"狩猟に"やってくるのだった。

これはゲルマン人を見つめる時の大事な視線になると僕は考えている。
ゲルマン人は根本的に狩猟の民だ。肉を食べ、それを得るために戦う民である。比してケルト人(ガリア人)は半農半牧であり、穀物を食べる民である。気質的にはローマ人に近かった。たしかにガリア人は、灌漑技術を背景とした定住型文明の進化系としての「国家」は持たなかったし、国家を支えるための文字/高度な計算術は持たなかったが、それでも最終的にはローマと融和できる素養を根本の部分で持っていたのだ。
ゲルマンにはこれが無かった。ゲルマンが、ローマ的先進性を取り込むにはフランク人の台頭を俟たなければならない。しかしこのフランク族であっても、ゲルマン人の根本的性格はローマ人のそれとは全く違う。狩猟的だ。
それは、後代5世紀以降、西ローマを滅ぼしてイタリア半島へ侵攻したルマン人が、農耕を蔑視し"肉食こそ勇者の印"とし、それが以降の貴族/支配者の気質になったことからも窺い知れる。

タキトゥスはこう書く。
「私は願う。彼ら野蛮人の間に我々に対する愛情といわなくても、せめて彼ら同士の憎悪が、いつまでも続いてくれるようにと。実際、ローマ帝国の運命が駆り立てている今、幸運の女神が我々ローマ人に与えてくれるものの中で、敵の不和にもまして立派な贈物は何もないのであるから。」

このゲルマン人の侵攻に、ローマは早急な対応が必要だった。 それがカエサルの北征、ローマ側から見た(征伐の)正当性である。
カエサルは、先ずガリア北東部のライン左岸、ラインラントを征伐した。同地はケルト人/ゲルマン人/ローマ人の混血Germanicisrhenaniが生活していた。トゥングリ、トレウェリ、ネルウイイなどと呼ばれる人々である。そしてライン川右岸についても征圧の輪を広げ、同地を陥落させている。このことでローマは、上ゲルマニアGermaniaSuperiorと下ゲルマニアGermania Inferiorと云う属州を得ることになる。
ローマには、我が属州を守る権利と義務がある。 
それが、カエサルがライン川を越えて侵攻し、ブリテン島へ渡ってまで戦った理由だった。
つまり彼にとって、必要なのは「互恵のための信義」ではなく、ローマ法に則った正当性だったわけだ。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました