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ポムローヌ03/サンテミリオン村歩き#33

葡萄畑の前に立つ「POMEROL GRAND VIN DE FRANCE」という看板の前で、M氏はクルマを停めた。
看板の下に小さくSAINT JACQUES de CONPOSTELLEとあった。僕は看板を指さした。
「ポムロールの前にマークが有るだろ?あれはマルタ騎士団のマークだ」
「ダヴィンチコードに出てきたアレ?」
「あれはテンプル騎士団。まあ似たようなもンだけど。テンプル騎士団/ドイツ騎士団/マルタ騎士団が有名だ。十字軍時代の護衛から始まったのが騎士団なんだが、マルタ騎士団は、エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会Supremus Ordo Militaris Hospitalis Sancti Ioannis Hierosolymitani Rhodius et Melitensisのための保護のために組成されたものだ。
聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会は第一次十字軍の後、かなり膨大な資金力を手に入れたからな。その資金力でエルサレム以外にも幾つか病院を建立してる。そのひとつがポムローヌだった」
「だからマルタ騎士団のマークなのね」
「ん。しかし百年戦争のとき、聖ヨハネ主権軍事病院は戦火に塗れた。荒廃し、そして最後は放棄されたんだ。再建されたのは16世紀に入ってからだ。しかしその病院も19世紀になって焼失してしまった。今はマルタ騎士団だけが残っている」
モンターニュー通り周辺のワイナリーを見て歩きながらもM氏の紹介でChâteau Nénin(Château Nenin, 66 Rte de Montagne, 33500 Libourne)に寄った。ここはミシェル・ローランの畑だ。もともとはデスプジョル家が保有していた畑だが、これを1997年にジャン・ユベール・ドロンが買い取った。今は大幅な増改装のおかけで、クオリティはかなり高くなっている。
「此処もそうだがデスプジョル家がChâteau Neninを買ったのは1847年だ。フロンザックなどもそうだが、海外の資産家たちが1800年代になってから、熱心に葡萄畑を欲しがった。交易の素材としてワインが見直された時代なんだ。ワインは利益効率が高い。充填した後の保存についても技術力が進化して、長期熟成型ワインが定例化したんだよ。その意味でも資産価値も投機価値もワインは1800年代より大きく育ったんだ」
「ふうん。それで外国籍の人々がオーナーとして名を連ねた・・というわけ?」
「ああ。メドックとは違う形だったが、従来から続いていた群雄割拠というスタンスがこの頃から大きく変わり始めている。ところがだな」

「あ・でた。ところが・・」
「フィロキセラだ。ポムローヌもリブリヌもフロンザックも・・そしてサンテミリオンも、根こそぎ破壊されたんだよ。そしてサラエボ事件が起きる。世界は一挙に世界大戦へ突入してしまうんだ」
「あらま」
「そして続けざまに第二次世界大戦だ。ボルドーはナチスに席巻された。終戦を待つしかなかった。
戦後のポムローヌ/リブリヌ/フロンザックはコレーズとベルギーからやって来た人々が買い漁り、新しいマーケットを作り上げたんだ。いまのこの地のキャラクターを作ったのは彼らだよ。古くから地元で畑を守ってきた人ではない。新進と気鋭を持った人々が、この地を繁栄に進めたんだ。
リブリヌの交易港を再興したのもコレーズ出身の家族たちだ。特にリブルヌ-パリ間の鉄道建設を強く推進しており、この開通が同地のワインマーケットを拡大化させたんだ。そしてペトリュス、ル パン、ラフルール、ラ コンセイヤント、ガザン、マイエ、ルジェなどなどが、この地の代表として定着したのは、リブリヌ港とパリへの鉄道ロジスティックのおかげだ。この町を大きく発展させたのは、彼ら戦後にこの地へ移住してきた新住民たちだった」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました