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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩6-05/ディジョン#05

https://www.youtube.com/watch?v=qZSoBDk5bPw

Muséearchéologique de Dijonの二階への階段は18世紀の修道院の面影を残している。平日の朝だから・・だろうか、見学者は少ない。

「大きな修道僧の宿舎だったのね」と嫁さんが言った。
「二階に当時の大部屋がある。いまは展示室になっている。二階は教会建築のコレクションと各所から集められた収集品だ。何処も散逸がひどかったからな、相当苦労して集めたらしい。三階はメロヴィング朝時代の宝石と武器とかエトールの遺跡から出土した遺物。サン ベニーニュ修道院の遺物が納められている」

「サン=ベニーニュという人がいたのね」
「彼の名前を冠したのが、此処の隣にあるディジョン大聖堂Cathédrale Saint-Bénigne de Dijon(Pl. Saint Bénigne, 21000 Dijon)が本拠地だ」
https://www.cathedrale-dijon.fr/
「古いの?」
「一番最初は修道僧のための宗教施設が有ったらしい。サン=ベニーニュの墓の上に作られたという伝説が残っている。それを800年代後半に修道院に改修したのはクリュニー修道院で、彼らが12名の修道士を送り込んできたという記録がある」
「ということは・・ベネディクト派?」
「おお・・そうだ。清貧と勤労を信仰の中心に置くベネディクト派だ。その修道院として900年代から此処は動き始めている。・・しかしディジョンは1137年に大火事が有ってね、修道院は焼失してしまった。今の形に再建立されたのは1300年代後半からだ」
「それでも700年くらいは経っているのね」
「1000年頃に、クリュニー修道院はヴォルピアーノ公ウィリアムGuillaume de Volpianoを送り込んでいる。彼は遺されていたというサン=ベニーニュの遺骨や遺品を集めて地下に礼拝堂をつくったと言われてる」
「みられるの?」
「みられない。フランス革命の時に焼き払われて焼失した。・・でも最近発掘出来たんだけどな‥どれがサン=ベニーニュの遺品なのかは判別していない。・・その頃サン=ベニーニュ修道院はサンモール修道会が実権を握っていた」
「サンモール修道会?」
「1700年代に出来上がったグループでね。隆盛を誇った。そのど真ん中にフランス革命がおきたんだ。当然、会派指導者だったドン・アンブロワーズ・シュヴルー Dom Ambroise Chevreuxは逮捕された。そして1792年 9月2日に、他聖職者190名と共にギロチンで殺されているんだよ。そのときに修道会は完全解体されたんだ。そして同時に、此処も修道院ではなく"大聖堂"と名前を変えたんだ」

「そうなんだ・・簡単にかんがえてたけど・・大聖堂という言葉には、たくさんの痛恨の気持ちが秘められているのね」
「でも・・全焼はしなかった。この寮の天井を支えている梁は・・リブ ヴォールトRib vaultと言うんだが、1300年代のもの、そのものが残っているんだよ」
僕は寝室として使われていた部屋の天井を指した。横断アーチとその対角線のアーチを指した。
「いわゆるゴシック様式の典型だ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました