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悲しき熱帯

銀座にイエナ書店というのが有った。改装する前は、旧い洋館のような建物で、いっちょまえにアルファベットが読めるようになってからは、ここへよく通った。銀座の本屋が砂漠化する前の話だ。

大学時代、僕は学費稼ぎをするために、長い休みは必ず米軍のキャンプ回りをしていた。輸送機に載せられて、楽器と共に運ばれる仕事だ。長くひとつのキャンプで演奏をすることもあったけど、たいていは「One Night Only」で、ステージが終わるとそのまま輸送機に載せられて他のキャンプに向かう、というスケジュールだった。酷い時は、寝起きできるのは機内だけ、ということも多々あった。
でもギャラが良かったからね。それにヤネ・アゴ付きだったから、そんな銃後を転々と彷徨する仕事を、黙々とこなして大学時代を過ごした。あ。ベトナム戦争の頃だよ。1969年から1973年頃の話だ。僕は20歳前後だった。

そのとき、イエナで何気なく手にしたTristes Tropiquesを輸送機の中で、辞書を片手に初めて読んだ。鮮烈だった。
輸送機の中はたいてい寒くて、着るものをあるだけ着込んで、ガタガタ震えながら、貪るようにそれを読んだ。これが僕の、初めてのレヴィ・ストロース体験だ。
夢見るように、しかし醒めきった視線で語るレヴィ・ストロースに、僕は夢中になった。

この本に再度出会ったのは1981年。NYCに紀伊国屋書店が出来た時だ。「悲しき熱帯」という和名だった。もちろんすぐに買った。そして帰宅して、やはり貪るように読んだ。

「悲しき熱帯」はブリコラージュのカタマリだ。様々な思索や、その道筋で出会ったモノや、彼が歩いて、観て、触ったものが、ぶちまけられる様に、倒錯して納められている。
僕はこの川田の翻訳を読みながら、ヌメっとしたベトナムのジャングルや、パタヤの広大な米軍基地の傍らに並ぶ、兵隊相手の薄暗いバーに潜む、暗い大きな瞳の女たちの甘酸っぱい饐えたような匂いを思い出した。汗と埃と食いこぼしで、古雑巾のように汚れてヨレヨレになった僕のTristes Tropiquesのことを思い出した。

その時から思っている。レヴィ・ストロースを学術書として読んではいけないんだ。ともに過去を。お互いの過去を重ね合わせ。追体験することを、彼は望んでいるんだ。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました