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勉強机のあるウチ

類焼に追われて、一切合切を失った母が僕を連れて横須賀から東京へ戻ったのは小学校3年だった。元佃の家は叔母夫婦が暮らしていた。母と僕はその二階へ住んだ。母に「ここで産まれたんだよ」と言われても、記憶も感慨もなかった。転入した佃島小学校は同級生も先生も冷ややかだった。町には馴染まなかった。・・結局高校三年の夏に家を出奔するまで、僕は異邦人であり続けた。
それでも友達が狭い我が家に遊びに来ることはあった。
元佃の家は6畳一間だった。部屋の端に勉強机と小さな本棚が有った。焼け出されて丸裸で帰京した母が買ったものではない。小石川の肇叔父さんが持ってきたものだった。机の上には電気鉛筆削りまであった。・・遊びに来た友達は、それを見ると言った「気取ってやがる」と・・「気取ってる? 」僕には意味が判らなかった。

たしかに逆に、僕が友達の家に行くと・・子供部屋どころか勉強机や本棚がある家は稀だった。新佃/月島は典型的な三軒長屋に家族数人で雑然と暮らしている家が大半だった。居間にはTVが鎮座し、その前のちゃぶ台は父親か母親が占有していることは一目瞭然だった。
そのことに気が付いてから、僕は「どこで勉強してるの」と聞きたい誘惑に何度もかられた。もちろん聞いたことはない。
友達にとって、勉強は「家ごと」ではなく、家の外でする特殊なもの・・だったのかもしれない。それが「気取ってやがる」という言葉に出たのかもしれない・・そう思った。家に勉強を持ち込むことは「気取った」ことだったのかもしれない。
もちろん、そうじゃない家庭もあった。今朝唐突に、僕の勉強机の上にずっと有ったナショナルの電気鉛筆削りのことを思い出して、三軒長屋が並ぶ裏路地を思いながら・・勉強することが「かっこ悪い」とする文化のことを考えてしまった。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました