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小説特殊慰安施設協会#33/東京宝塚劇場

泰明小学校前の道は「みゆき通り」と云う。
この道は、明治天皇が築地にあった海軍兵学校、海軍大学で開かれる催事へ臨席する際に行幸されたので行幸路と呼ばれ「みゆき通り」と呼ばれるようになった。泰明の横に、今は高架高速道路になってしまった外堀川がある。架かる橋は、山下橋。川はこの橋の先から泰明校舎に沿って大きく曲がるので橋の上から数寄屋橋が見えるのは渡りきった辺りからだ。渡りきると左が帝国ホテル。右が劇場街である。
 3人はこの橋を渡るつもりでいた。しかし傍まで行ってみると見事に崩れ落ちている。

「あらあら。」小美世が言った。仕方なくも3人は泰明小学校の横を外堀側沿いに歩いて、数寄屋橋を渡った。
 この辺りのビルは何れも殆ど無傷なものばかりだった。しかし雨足を通してみているからだろうか。どのビルも昼間だというのに人影なく暗かった。ところが映画街への道を左に曲がると、日比谷映画劇場の前だけは長い列が出来ていた。
「あら。やっぱり混んでるわね。映画も。」小美世が言った。
焼け跡の何処からこれほどの人が集まるのか。驚くほどの人だった。
3人は映画館の前に立った。入り口上に大きな看板が出されていた。
「そよかぜ」並木路子、佐野周二、上原謙、二葉あき子、斎藤達雄、三浦光子他  大船精鋭陣総動員 松竹超弩級音楽映画
見知らぬ女優が歌う絵が大きく描かれていた。
「並木路子・・さん?」千鶴子が言った。
「そうなのよ。松竹歌劇団の方らしいんだけど、大抜擢されたって、うちにお稽古へ来てる子たちが言ってたわね。浅草の子なんですって。」
 並木路子は大正10年 9月30日台湾で生まれている。戦時下、浅草で暮らしていた。父母は3月10日の東京大空襲で亡くしている。松竹少女歌劇団へ入団したのは昭和10年。16歳のときである。「東京踊り」で初舞台を踏んだのちも18年「御代の春」で歌手デビューした。

松竹がGHQの検閲下で音楽映画を作ると決めたとき、音楽を担当した万城目正の紹介で主役に抜擢された。路子は、そのとき松竹少女歌劇団の美少女に紛れる端役の一人でしかなかった。しかし、その純朴な風貌と立ち姿、そして明るく溌剌とした歌声こそ、この映画に必要であると万城が推挙し、大抜擢されたのだった。
 映画の中で歌われる「りんごの唄」は空前のヒットとなり、レコード発売後3ケ月で7万枚が売れ、翌年にかけて爆発的なブームをひきおこし、戦後流行歌のヒット第1号となった。

この10月10日封切りされた作品を見ようと、日比谷映画劇場の前は黒山の人だかりになっていた。目の前の折り重なる傘の群集を見ながらゲンが言った。 
「すげえな、入れないぜ。招待券が有っても並ぶのかな。」
「ばか。あたしたちの行くのはココじゃないわよ。東宝劇場のほうよ。裏よ。」小美世が言った。
東京宝塚劇場は日比谷公園に抜けるみゆき通りに面して、帝国ホテルを前にある。帝国ホテルは数日前にGHQに接収されていた。たくさんの米兵が出入りしている。そのホテルの前で唐突に始まった演芸である。米兵たちの度肝を抜いたようだ。劇場の前は映画館と同じように人だかりが出来ている。その人だかりを覆うように米兵たちが集まっていた。俺たちにも見せろといってるらしい。対応は白い背広姿の男が対応していた。日下部育郎である。日下部は松竹の洋画担当なので、英語は完璧である。その日下部も、米兵たちの勢いに戸惑っていた。
『ドルはダメだ。円でしかチケットは買えない。軍票はOK。チケットは窓口で買ってれ。』
ドル札を手に『幾らだ!幾らだ!』と大声をあげる米兵に、日下部は悲鳴のように『ドルはダメ』を繰り返していた。
「あら。日下部さん。」そんな日下部に、横から小美世が声をかけた。
その涼やかな声に、日下部の周りに集まっていた米兵たちが全員、小美世たちを見た。そして嘗めるように見回すと、突然ピーピーと口笛を吹いた。そんな反応をされたのは始めてだった千鶴子は思わず一歩下がった。その千鶴子の前にゲンが自然に立った。しかし小美世は動じなかった。

「ご苦労様です。」小美世は飛び交う口笛に動じもせず、笑みを絶やさず日下部に小さく頭を下げながら言った。
「あ。ああ・・小美世師匠。観劇ですか。」と日下部。
「ええ。結城さんにご招待いただいて。お邪魔しますわ。」
「そうですか。ちょっと待ってください。」と言うと、日下部は少し離れたところで列の整理をしていた若い社員を呼んだ。
「こんな状態ですからね。芝居が始まるまで、役員室に居ていただいて良いですか?お席は確保しておきます。・・こいつらと」と米兵たちを目線で指した「離れたところに。」
小美世は笑った。
「ありがとうございます。でもね、日下部さん。女は、手放しでうっつくと言われるの、わりと好きなんざんすよ。ほんとはね。」
日下部は地方出身だったから「うっつく」という江戸弁は知らなかった。しかし何となく意味は感じ取って「なるほど大したもんだ。」と言った。「うっつく」は美しいという意味だ。

チケット・チケットと言っていた米兵たちは、今度は日下部に『彼女たちは、この舞台に出ている女優なのか?』『名前は何と云う?』と聞いていた。日下部は、小美世と千鶴子を囲いそうになる米兵たちを両手で諌めながら、若い社員に「おい。早く役員室にご案内しろ」と言った。三人が去ろうすると米兵たちが余計大騒ぎをした。
小美世は涼しい顔をしていたが、千鶴子は見知った顔がその中に無かったことに安堵した。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました