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パリ・マルシェ歩き#15/マルシェ・サックス・ブルテュイユ

Avenue du Président Wilson周辺には多くの秀逸なレストランがある。名前を挙げると
Monsieur Bleu(20 Avenue de New York, 75116 Paris)パレ・ド・トーキョー内にある。モダンフレンチな店。
Shang Palace(10 Avenue d'Iéna, 75116 Paris)特徴: シャングリ・ラホテル内にある。チャイニーズ広東料理。ミシュラン一つ星。
La Table du Palais Royal(110 Galerie de Valois, 75001 Paris)パレ・ロワイヤル庭園内にある>。トラッドなフレンチ。
e Cinq(1 Avenue George V, 75008 Paris)フォーシーズンズホテル内にある。ミシュラン三つ星のフレンチ。

何れも極めて高いクオリティを持っている。
しかしカジュアルな恰好で行くには無理なところばかりだ。マルシェの帰りに買い物袋を持って入るのは相当抵抗ある店ばかりだ。となるとマルシェ・デ・プレジデント・ウィルソンの帰り、昼食の場所選びは我が家は一択である。Rue Goetheの角にあるイタリアンBalilli(15 Rue Goethe, 75016 Paris)だ。
https://restaurantbalilli.fr/fr

マルシェの通りからは歩いて5分くらいだろうか。Square du Palais-Gallieraの横にあるガラリア通りRue de Gallieraを進む。少し歩くとフレシネ通りRue Freycinetとの交差点にぶつかる。ここにRISTORANTE PIZZERIAの看板を出した同店がある。此処はマルシェの帰りにカジュアルな恰好で入れる素敵な店だ。ティアレッレ・アッレ・クルテTiarcelle alle Cozzeやカポコッロ・ディ・マルティーナフランカCapocollo di Martina Francaが宜しい。
スープに入ったオレキエッテOrecchietteを食べながら嫁さんが言った。
「あれほどマルシェが充実してて、色々な所で開かれていたら、魚屋さんや八百屋さんはやってけないわね。だからパリはあんまり無いのかしら? 」
「ん。たしかに。少ない。70年代頃から大型のスーパーマーケットが出始めたから、それが大きな原因だろうな。それとやっぱり青果や魚介類は専門知識が必須だし、仕事も長時間に及ぶから個人商店で維持するのは難しいんだろうな。それとパリ市は衛生規制: 食品衛生に関する規制が厳しい。これに個人商店が対応するにはコストがかかりすぎる。これらが理由だろうと思う。僕がパリへ来るようになったのは80年代前半からだけど、当時はそこそこ見かけた商店が、蝋燭が消えるように無くなってるよ。苦労が大きすぎて後継者がいないんだと思う」
「そうねぇ、日本も魚屋さんはずいぶん無くなったわね。八百屋さんは、小さな店が増えたけど」
「おおきな時代の趨勢なんだろうな。いま僕らがパリで出会うマルシェは、オスマンのパリ大改造計画第三段階じに創設されたのが多い」
「大きな通りが出来て、そこに新しい集いの場としてマルシェを置いたのね。素敵なアイデアだわ」
「地域農家の活性化にもつながるしね、ムカシはパリへ品物を運ぶと、通行税を取ってた。そのために壁を何回も作り直してきた。第三共和政府はそうはしなかった。市民も喜び、農家も潤う。素晴らしいアイデアだよ」
「マルシェ・サックス・ブルテュイユもそうでしょ?エッフェル塔の傍にあるマルシェ」
Marché Saxe Breteuil(Avenue de Saxe 75007;Open Thursday and Saturday 7:00 to 2:30)

「ん。7区にある。創立は1873年。Avenue de Saxeが建設された直後だ。あそこもパリ政府が企画して始まっている。オスマンのパリ大改造計画第三段階期だ。
第三段階のハイライトは、鉄道インフラの強化だった。フランス全土をまたがる鉄道網を敷設した。
パリ市内で言うなら、1・2段階で設備された施設の設備の拡充だ。とくに住宅地区の再開発に力を入れている。それと公共設備の質を向上させるために色々な仕掛けを試みている。マルシェを各所に作ったのはそのためだ」
「でも、その時は、彼にパリ大改造を命令したナポレオン三世は失脚してたんでしょ?」
「ん。ナポレオン三世の失脚で、オスマン男爵もセーヌ県知事を罷免になった」
「親亀こけたら・・だったの?」
「いや。そうではない。オスマン男爵はお小姓坊主じゃなかったからね。すぐにフランス議会下院議員へ選出された。のちにフランス元老院議員も務めてるよ。そしてこの時期に『Mémoires d'un préfet de la Seine』という本を書いている」

「ふうん」
「たしかに第三共和政府の下で、オスマン男爵の具体的な参加はなかった。でも彼の思想は確実に受け継がれたんだ」
「なるほどね」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました