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小説特殊慰安施設協会#30/GHQ召喚指令書

そして翌日、9月18日。R.A.A.協会へGHQから召喚指令書が届いた。
持ってきたのジープに乗ったMPだった。すぐ第一生命ビル総司令部参謀第四部/G4を訪ねるようにという指令書だった。宮沢理事長は怖気づいた。
「え・英語はわからん。林君、君が出向いてくれ。」宮沢は懇願するように林譲に言った。 林譲は、黙って頷くとそのままMPのジープに乗って第一生命ビルへ出向いた。
「そのときは、しきりに喉が渇きました。」後日、林譲はそう述懐している。なにかGHQの逆鱗に触れたのか・・
第一生命ビルのG4のフロアに通され、応接室で待っていると、大柄な男が書類を持って入ってきた。林は立ち上がろうとした。
『いやいや結構です。Mr.Hayashi。お脚が辛いでしょう。』男は柔和な表情で言った。・・私の名前を知っている。林は驚いた。
『きっと憶えてらっしゃらないでしょうな。』男は椅子に座りながら言った。「東京入城のとき、大森であなたから軽食を受け取った兵士の一人が私です。チャールズ・ハッチンソンと言います。位階は大佐です。しかしどうぞチャーリーと呼んでください。私もあなたをJoeと呼びましょう。』
Joeは、林譲が商社時代のころ使っていた通称だ。そこまで知ってるのか!林譲は小さく鳥肌が立った。
『実は本日お呼び立てしたのは、部内でもあなたの会社のユニークな活動について注目する者が多くて・・・ははは。あなたの横浜税関ビルでのプレゼンテーションは、相当強烈な印象を我々に与えましてね。セクションが此方に移ったこともありまして、あなたの会社との窓口を一元化したほうがよいのではないかと云う話になったのです。』
林譲は何も言えないままハッチンソン大佐を見つめた。ハッチンソンは笑みを絶やさなかった。
『それで、私が担当せよということになりましてね。今後、色々ご報告いただくことになると思いますので、ぜひお付き合いください。』ハッチンソン大佐はそう言うと握手を求めた。
林譲は、引き摺られるように握手した。強い握力だった。
『・・では設立経緯から、昨日のSENBIKIYAオープンまでの話を聞かせてください。』そう言うとハッチンソンは手にしていた書類を開いて、手に赤いペンを持った。
ところが林譲が話し始めると、殆どの経緯は既にG4は調べ上げている。時折、はさんでくる質問が、実に核心を突いているのだ。大竹広告副理事長の参与経緯の質問を受けたとき、実はG4のほうが、私よりR.A.A.の裏のカラクリについては詳しいのではないか?と思うほど鋭い質問だった。
『副理事長については、私はあまり詳しくは知りません。大竹さんは事務所には出てこられないのです。お会いしたのも結成式を宮城前で開いたときだけです。もし詳しいことがお知りになりたければ、私より宮沢理事長のほうが適任かもしれません。』そう林が言うと、ハッチンソン大佐は大きく頷いて『なるほど』と言った。表情は柔和だったが、林を見つめる目は笑っていなかった。 

以降、林譲はハッチンソン大佐を訪ねて、度々第一生命ビルへ出向いている。

R.A.A.の大々的な活躍に注目したのはG4だけではなかった。総司令部参謀第二部/G2も強い関心を持っていた。G2がどう思っていたか。その代弁者である「シカゴ・サン」紙のマークゲインの「ニッポン日記」から引用したい。
「アメリカ合衆国の軍隊を腐敗させようとする日本側のぬかりのない、よく組織された、そして充分な資金で賄われた謀略の物語である。その武器は、酒・女・歓待であり、その目的は占領軍の士気と目的を破壊することにある。」
しかし幸いなことに、と云うべきかG4とG2は犬猿の仲だった。R.A.A.について先鞭をつけたG4について、G2は口を挟めなかった。しかし憲兵(MP)指令部は別である。日比谷帝国生命館のビルに入っていた憲兵本部からも、林譲は度々召喚を受けている。 その召喚のときにも何回か大竹副理事長の名前が出ている。しかし、林譲に答えられるものは何も無かった。
この大竹広告だが、R.A.A.の中へ頻繁に姿を露するのは、同協会が特殊観光施設協会と社名変更した後からである。
ちなみに特殊観光施設協会は1956年、日本観光企業という株式会社を別に興している。そして此処に全ての動産不動産の権利を引き渡し、同協会は半年後に解散した。しかし役員の大半と、社員の一部はそのまま日本観光企業株式会社へ移行。同社は、何回か社名変更しながら、今でも銀座に居を構えている。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました